●イスラエル建国という悲願の中、育まれたメサイア信仰
今回はイスラエルの歴史、特に古代イスラエルの歴史をたどってみたいと思います。ローマ軍に滅ぼされてユダヤ民族が離散をし、世界中を放浪する。しかも迫害を受け続けながら、1900年間にわたって大変な生活を強いられてきた。それがその後のイスラエルの「自分の国を作らなければならない」という強い希求につながり、その間ユダヤ民族のアイデンティティを維持し続けるという、世界の民族の中で異例とも言える強い民族へのこだわりの中で生きてきた。その歴史を理解しないとイスラエル建国のために第一次世界大戦後、そして第二次世界大戦中、続く戦後の大混乱の中で心血を注ぎ、ともかくなんとかイスラエルを建国したということの意味が理解できませんので、古代に思いをはせてみたいと思います。
ユダヤ人は、ユダヤ教を作った民族で、ユダヤ教はおそらく人類の文明史の中で初のはっきりした一神教と言えます。当時はユダヤ人の多くがエジプトのファラオの元で奴隷となっていた時代だと言われています。紀元前13世紀くらいのことです。当時のエジプトは世界の最先進国ですから、ピラミッドを作ったり、大変な技術を持って、国力を有し、繁栄を享受していました。大エジプトには巨大なナイル川があって、1年に一回大氾濫をしました。氾濫をしたあとナイル川流域は沃野になり、いろいろな栄養分を含んだ土が残るので、作物が豊かに生育する。ですからエジプトにはある意味ではそれほど働かなくても大きな民族が生きていける有利性がありました。エジプトは大先進文明国であったわけです。
そのエジプトでパレスチナから逃れてきたユダヤ人たちが、囚われの身になって奴隷として苦しい生活を送っていました。その中でユダヤ人たちはこの苦境から救い出されないものかと考えたようですが、大変頭のいい民族ですから、やがて「宇宙をおつくりになった全知全能の神、唯一神が救世主を遣わしてくれるのだ」というメサイア(救世主)信仰に至ります。メサイアがわれわれユダヤ民族を、特にユダヤ民族だけをこの苦境から救い出してくれるという信仰を発展させたのです。この「ユダヤ民族は他のどの民族よりも優れている。だから救世主はユダヤ民族を救い出してくれるのだ」という考え方を「選民思想」といい、これは後に世界の他の民族から排他的な考え方だと忌み嫌われ、憎まれるもとになりましたが、そのような考え方を生み出すわけです。
ユダヤ人が大切にしているトーラ(モーセ五書)、それのほとんどはキリスト教徒の旧約聖書に書き込まれているわけですが、ユダヤ人は旧約聖書というと非常に不愉快な思いをするようです。なぜなら、ユダヤ民族を中心とする世界の歴史は、ユダヤ教の教本であるトーラに書かれているのであって、新約聖書や旧約聖書などと分解して語られるべきものではないというように思っているからです。
そのトーラの中には、モーゼという神から遣わされた使徒がエジプトから奴隷になっていたユダヤ人を救い出す。モーゼがいろいろな魔術をかけて、エジプトの人々を翻弄して、やがてユダヤの人々を連れて、紅海を渡る。紅海を進む時に水が真っ二つに割れて、ユダヤの奴隷が対岸にたどりつくと、追いかけてきたエジプトの軍勢が波にのまれるという神話があります。こうした神話にも表されているようにまたパレスチナに近い地域にユダヤ人は戻ってくるわけです。
●ユダヤ人の誇り~古代イスラエルの栄華
それからしばらく時間をかけて世代も替わり、このパレスチナ、かつては「水とミルクのあふれた土地」と形容されていたパレスチナ、今は乾ききった土地ですが、当時はそういう環境条件があったのかもしれませんが、そこにユダヤ人が戻ってきたということです。
そこから古代イスラエルの建国が始まります。このあたりはほとんど神話の世界ですが、ダビデ王という大変力のある王様がいて、巨人ゴリアテをたたき捨ててイスラエルのもとを作ったと言われております。そのダビデ王の息子に後のソロモン大王が生まれるわけですが、ソロモン王が神殿を作ります。これがエルサレム神殿の第一神殿・ソロモン神殿と呼ばれるもので大変立派な神殿だったようです。
ところが、せっかくソロモン王の下で建国したユダヤ人も、バビロンという非常に強力な国に襲われ捕えられて、1世紀近くバビロンの奴隷になってしまいます。そこから何とかその苦境を切り抜けてパレスチナに戻り、今度はソロモン王とは血は繋がっていないのですが、ヘロデ王がユダヤ人の国を支えて発展させていくことになり、エルサレムに第二神殿という巨大な神殿を作ります。これは基礎になった建築物が今でも残っています。エルサレムの西日を浴びる側に「嘆きの壁」という神殿の外壁が残っていて、多く...