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西洋の考え方の根本はギリシア哲学…西周が気づいたこと

西洋文明の起源から見るグローバル化(2)近代日本と西洋

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
アジアの文化伝統に浸っていた日本は、ペリーの黒船により西洋と対面する。19世紀半ば、産業革命により先進的な技術を築いた西欧列強と日本の差は大きく、近代化=西洋化を推進することは、日本にとって植民地化されないための唯一の方法であった。当時の人々は西洋化をどのように捉えたのだろうか。(全6話中第2話)
時間:11:54
収録日:2019/05/29
追加日:2019/08/01
≪全文≫

●日本の近代化は西洋になろうとしてきた歴史


 グローバル化と西洋文明を考えるに当たり、今回は私たち自身の問題として「日本」、そして「西洋文明」の問題をまとめて考えてみたいと思います。

 日本と西洋の関係というと、古くは16~17世紀に南蛮貿易の時代もあれば、江戸時代にも「蘭学」がありました。しかし、何といっても19世紀の半ば、ペリーが来航した時代から幕末維新、明治以降の急激な西洋との出会いが、今日の話の中心になります。この時期の日本は、「鎖国」と呼ばれる長い時代から急に「開国」しますが、その段階で西欧列強の政治力・軍事力・技術力を目の当たりにし、彼らと肩を並べることを「近代化」と呼ぶようになりました。

 日本は近代化の必要に迫られたわけですが、単にそれが望ましいというだけではなく、そうしないと国が植民地化されるという切迫した状況で、日本の開国が起こったわけです。その近代化とは西洋化とまったく同じだったということを、今回のお話で明らかにしていきます。

 近代すなわち西洋で、日本は遅れていた時代ということで、西洋と同じになるように西洋文明を取り入れることが、19世紀半ばの日本(明治政府)の最大課題となりました。その場合、鉄道や電信といった科学技術の成果を取り入れるのは当然ですが、それらと並んで、法律や社会制度、教育制度などを取り入れることも西洋化でした。つまり、私たちが今社会で身に付けているほとんどのものは、このときの近代化・西洋化によって日本に導入され定着したものなのです。

 近代化の目標となっていたのは、西洋すなわちヨーロッパでした。有り体にいってしまうと、日本は西洋人になりたかったのです。自分たちは西洋人と同じなのだと認めてもらいたい。そのために着物から洋服に着替え、ちょんまげを止め、刀を止めたということです。それをどう思うかということとは別に、私たちが今洋服を着ていることに表れているように、日本の近代化は西洋になろうとしてきた歴史だと思います。


●西周が気付いた「西洋の考え方を学ぶ方法」とは


 近代化以前の日本は、どっぷりと東アジアの文化伝統の中にありました。中国、インド、そして日本独自の伝統の中にあったわけですが、19世紀の西洋は、それまでの近代文明が急激に進み産業革命が起こった時代でした。そのため、日本は一番ギャップの大きい時に西洋と直面することになったわけです。

 幕末で開国した19世紀、日本には学ぶべきことが山のようにありました。そこで、非常に面白いことが起こります。これは明治になる前ですが、幕府から派遣されて西洋に行った有名な人物の一人として、石見津和野藩の西周という人がいます。彼は、日本の近代化に当たり、法律を学ぶよう幕命を受け、命からがらオランダに派遣されていきました。

 ライデンの近郊、フィッセリングという教授のもとで一生懸命法律を学んだ西周は、実はオランダへ行く前から、法律よりもっと大事なものがあるとはっきり自覚していました。法律や技術を導入するのは、結果をなぞり、表面的なものを日本に取り入れることにすぎない。それだけでは本当に近代化・西洋化したことにはならない。なぜから、本当の西洋は何かということが分からずに猿真似をしても、結局はいつまでたっても駄目だ、と気付いていたからです。

 その時に西周は、自分がこれまでに勉強した朱子学や仏教などの背景を念頭に置きながら、西洋には西洋の根本的なものがあるはずで、それはギリシアの哲学だということをはっきりと分かっていました。ですから彼は、オランダに行くに当たり、留学先の先生に「自分は哲学を勉強したい」と明言しています。実際に、西周はオランダにいる間に最先端の哲学を学び、日本に戻ってきてからは、他の啓蒙思想家と呼ばれる仲間と一緒に、ヨーロッパの哲学を紹介することに最大の関心を注ぎました。

 当時の哲学の中には心理学や社会学も入っていますが、広い意味で現在「哲学」と呼ばれているものです。哲学という単語自体も、西周がつくったことは広く知られていると思います。“philosophy”という単語に「哲学」という漢字を当てはめました。


●西洋文明のコアな部分を学ぼうとした西周の伝統


 こうしたことは西周一人の動きではなく、その中には例えば皆さんご存じの福沢諭吉、中江兆民、あるいは東京大学をつくった一人である加藤弘之がいます。のちに啓蒙思想家と呼ばれるこれらの人々は欧米に行って古い伝統を学び、日本を内面すなわち思想や考え方の面から西洋化しようとしました。彼らは、例えば自由や民権などの概念も含めて導入しようとした人たちです。

 彼らが明治の初めに文化的な中心になったために、日本では西洋化の最初から哲学が重視されてきました。今私がお話ししている東京大学の哲学科というの...
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