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イスラエルの近代史を知れば、危機意識が高い理由が分かる

イスラエルの現況と日本(2)近代イスラエルの歴史

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
情報・テキスト
イスラエル建国を宣言するベン=グリオン
なぜイスラエル人は危機意識が高いのかを知るには、近代国家成立以降の歴史を振り返る必要がある。1948年5月、独立宣言翌日に隣国から侵攻を受けたイスラエルは、その後ほぼ10年おきにアラブ勢力との衝突を繰り返している。第一次~第四次に及ぶ中東戦争に勝利したイスラエルは、版図拡大により成長を遂げてきた。(全6話中第2話)
時間:09:15
収録日:2019/06/11
追加日:2019/08/23
カテゴリー:
≪全文≫

●独立=第一次中東戦争となったイスラエルの近代史


 イスラエルの危機意識の一端として、前回は訪問時の話を皆さんに申し上げたわけですが、これを理解するには、イスラエルが第二次大戦後どういうことになったのかを知る必要があります。

 そこで、皆さんご一緒にイスラエルの歴史を訪ねましょう。近代イスラエルが1948年に建国されるはるか昔には古代イスラエルというものがあり、歴史は3000年ほど前までさかのぼります。この古代イスラエルが消えたのが西暦73年。その後の1900年間、イスラエルは国がなく、ユダヤ人は世界を流浪していたのです。

 新しい国ができたのは1948年で、第二次大戦が終わった直後です。ホロコーストを免れたユダヤ人がどんどんと、「ユダヤ人国家ができそうだ」という報を耳にしてパレスチナへ参集していました。そして1948年の5月14日、ダヴィド・ベン=グリオンという首相が「イスラエルは独立した」という宣言をテルアビブで読み上げたのです。

 ところが、その翌日には、エジプト、シリア、トランスヨルダン(現ヨルダン)他の国が一斉にイスラエルに侵攻してきました。イスラエルはまだ正式な軍隊を持たなかったものの、民兵が頑張ってなんとか耐え抜きました。耐えるついでに、この地域を自分の国にします。先住民としてパレスチナ人が住んでいた場所に、です。彼らを全部追い出したため、50万人ものパレスチナ難民が発生しました。そして、彼らはテント暮らしを始めることになりました。それが今でも続いています。

 このようなことを起こしたのが、イスラエルという国の原罪ともいえるものです。これが1948年のことで、「第一次中東戦争」と呼ばれます。そして、この後もだいたい10年に1回ぐらい、イスラエルという国は生死を懸けた戦いをせざるを得なくなっていきます。


●スエズ運河国有化に端を発した第二次中東戦争


 1956年には第二次中東戦争がありました。この年、エジプトの有名な(ガマール・アブドゥル=ナーセル)大統領がスエズ運河の国有化宣言をし、反発するイギリスとフランスに要請されて、イスラエルは共同軍事作戦に参加したのです。アラブ諸国はもちろん非常に怒り、イスラエルとの第二次中東戦争となります。

 この時にイスラエルは、イギリスとフランスの後ろ盾がある強さで、ここ(シナイ半島やガザ地区)を制圧してしまいます。ところが、国連から圧力がかかり、さらに米ソからも非難を浴びて、悔しがりながらも撤退しました。

 この頃からイスラエルには、新しい移民が盛んに流入します。ホロコーストの生存者も多くいましたが、東欧に散らばっていたアシュケナージたちもイスラエルを目指しました。

 当時のイスラエルは、西ドイツから莫大な賠償金を得ている上、アメリカからの経済援助もありました。そこで、イスラエルでの生活を求めてアシュケナージたちが入ってきたわけですが、彼らの多くは実業家で富裕層でした。それが、イスラエルの急速な戦後発展を支えました。経済成長年率10パーセント以上という成長を遂げるのです。


●国土を4倍以上に拡大した第三次中東戦争


 そうこうするうちにまた10年ほどたつと、戦争が起きます。1967年の第三次中東戦争です。この時のイスラエルの動きは一方的な侵攻だったため、非難を浴びています。攻め入られて戦争をしたのではなく、周辺諸国に不穏な情勢があると判断して、エジプト、シリア、ヨルダンなどの隣国に攻撃を仕掛けたのです。まず空軍が一斉に空襲を行い、その後を陸軍が引き継ぎました。

 エジプトでは、イスラエルは直ちにガザ地区を占領します。前回申し上げたように、現在ではテロリストの巣窟になっていますが、当時はエジプト領でした。その後、エジプト軍と交戦し、シナイ半島を3ルートで攻略して占領していきます。

 ヨルダンとの戦いでは、数日のうちにヨルダン川の西岸を支配します。地図でオレンジに塗られている部分で、ほとんど砂漠ですが、今も一応占領地区になっています。さらにシリアとの戦いでは、ゴラン高原を制圧したところで停戦になります。

 もともと黄色の地域しかなかったイスラエルは、この6日間で領土を広げ、国土を4倍以上にまで拡大したわけです。

 イスラエル人にとって最も嬉しかったのは、ヨルダンの持っていた地区を占領したことで、旧ヨルダン地区にエルサレムが含まれていたからです。もとはエルサレムのごく一部だけがイスラエルの占有で、ほとんどはヨルダンの地域でしたが、この時占有した中には嘆きの壁(西の壁)が含まれています。イスラエルにとっては、紀元前時代に古代イスラエルのヘロデ大王が建造した第二神殿を偲ぶよすがとして、絶対に手放せない地区となりました。

 イスラエルは、1967年の占領とほぼ同時に嘆きの壁の下に数百メートルの地下道を...
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