●「失われた20年」。その前の日本を振り返る
イスラエルという国は、とんでもない危機感を背景に、周囲の国にいきなりつぶされないよう緊張感を持って頑張ってきました。そのためには優秀な人は技術で世界に雄飛する以外ないということが、彼らにとってモメンタム(勢い、はずみ)になっているようです。
そういう国であることを念頭に置いて、皆さんと考えてみたいのは日本のことです。日本では、よくご存じのように「失われた20年」といわれますが、これは何かというと、1990年代と2000年代は失われたということです。平均成長率は、1パーセントに届くか届かないかというほど世界でも最低ラインを続けました。
1989年が平成元年で、2019年が平成の終わりですが、この30年間の時代を多くの論者が「大失敗の時代」だと捉えています。なぜなのかを知るために、1989年の日本を振り返ってみましょう。
実は1985年に、日本は1人当たりGDPに関するデータでアメリカを抜くということもありました。きっとアメリカは、けしからんと感じたのでしょう。プラザ合意によって日本を徹底的に叩いたのがその頃です。それ以来というもの、日本は腰骨を砕かれた状態になり、立ち上がれないまま20年を失ったわけです。すなわち凋落したのです。
1980年代後半の日本企業がどんな様子だったかというと、工作機械、電子、金融などで断然世界を席巻していました。電機・電子産業では、が世界の売上の8割を占めていたこともありました。しかし、そういう時代はすでに昔の昔となっています。
●“Japan as No.1”と呼ばれた理由とバブルの後遺症
日本がなぜそれほど成功したかについて、エズラ・ヴォーゲルというハーバード大学の教授が1979年に『Japan as No.1(ジャパン・アズ・ナンバーワン)』という本を出しています。日本人は“Japan is No.1(ジャパン・イズ・ナンバーワン)”だと思っているけれども、日本が現実にナンバーワンというのではなく、「もし日本がトップだったら、アメリカはどうする?」という警鐘を鳴らした本なので、仮定法の“as”が使われています。
なぜ日本がそこまで行けたのかについては、どの企業も軒並み技術革新と人材育成に力を入れていることが大きいのです。日本型の企業モデルには何か秘密があるのではないかといわれました。それから、品質管理と勤労意欲が最高で、末端の従業員が社長のような感覚で働いている。非常に不思議な国だという分析でした。
ところが、21世紀に入る手前で何が起きたというと、バブル崩壊です。これにより「バランスシート不況」といわれるものが、とてつもない後遺症として残りました。借金を返すことに一生懸命になって、新しいことには手を出そうとしない。内部留保は非常に蓄積しているにもかかわらず、投資をせず、新技術への革新も行わない。さらに、この10年ほどでGAFAのような勢力が出てきましたが、日本はまったく追いつかない。中国にもどんどん遅れを取るという次第になってしまいました。
では、次の時代に日本は復活できるのか。そのための国家戦略があるのか。いろいろな人が意見を言われていますが、今の日本では残念ながら、大企業に入ってくる人材を活用するのではなく、消耗させて摩滅させてしまう。特に金融の大企業に入るとそうなってしまうことが多いようで、お気の毒です。出る杭は伸ばさずに、叩いてしまうからです。
●イスラエルと交流するメリット、交流しないリスク
安全保障についての危機意識が欠落しているわれわれは、イスラエルから何か学ぶ必要があるといわれます。しかし、イスラエルの安全保障観は日本とはまったく違うので、そのまま移植することはできないでしょう。前回お話しした経産省の俊秀である松本さんも、そのように言われています。
ただ、日本には日本の良さがある。何が良いかというと、やはり日本独特の文化があるわけで、誇るべきものをたくさん持っています。それから、組織力の日本という面もあります。イスラエルは個人が頑張る一方、組織力は乏しいのです。ですから、日本の文化と組織の良さ、まじめさをイスラエルの特別な才能と組み合わせると、何かできるのではないかというのは当然考えられることです。
今ではようやくアラブのくびきもだんだん風化してきました。イスラエルともっと付き合った方がいいのではないかと考えて、日本の企業もどんどん進出…と言いたいところですが、まだ進出とまではいかず、イスラエルに置くのは開発事務所程度です。今のイスラエル大使にうかがうと、現状では70社ほどが駐在しているそうです。ただ、工場や大規模な事務所ではなく、数人程度のオフィスですから、全部ひっくるめても数百人しかいないそうです。
この現状は、すでに何万人もの人を送り込み、10階建てのビルを建ててい...