●GSOMIA破棄が与えた衝撃
それから1週間後の2019年8月23日、韓国政府は日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA:General Security of Military Information Agreement)の破棄を日本政府に通告しました。協定は毎年更新することになっており、8月24日までにどちらかが破棄を通告しなければ、自動延長されることになっていました。それを韓国政府は一方的に破棄通告することで協力体制を終了させたのです。
この協定は、日韓両国が暗号情報や戦術データなどの防衛機密を共有するもので、当初は2012年に締結の予定でしたが、韓国からの申し入れで2016年に締結されました。2016年は北朝鮮が長距離ミサイルの発射と核実験を加速させていた時期に当たります。日米と米韓はそれぞれ安全保障条約を締結していますが、日韓両国の間ではこの協定が唯一の安全保障関連の条約です。いわばアメリカを頂点とする二等辺三角形の底辺を日本と韓国が構成しているのですが、この構造を支える重要な装置なのです。
この情報共有体制は、例えば、北朝鮮のミサイルの軌跡を分析したり予測したりする時に役に立ちます。韓国国防省はミサイル発射直後の情報をいち早く入手できる立場にありますが、着弾点近くの情報は日本のイージス艦などの情報収集がより精確であるとされています。日米韓の情報を迅速に総合することで、この地域の防衛体制の運営がより的確になる効果があります。
日韓の対立が、元徴用工問題から輸出管理の強化問題へと発展する中で、韓国はGSOMIAを更新するかどうか検討するとして、日本から譲歩を勝ち取る材料としてきた経緯があります。日本政府は安全保障問題を取引に使うべきものでないとして、更新を要請し続けてきました。
●アメリカの必死の仲介もGSOMIAの継続に結実しなかった
最近になって、韓国の態度に懸念を深めたアメリカはスティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表を、7月下旬にはジョン・ボルトン大統領安全保障担当補佐官、8月上旬にはマーク・エスパー国防長官を派遣して、韓国に慎重な対応を促してきました。韓国政府内でも国防省筋はGSOMIAの継続を望んでいましたが、大統領府の強硬派の意見に押し切られたとされています。
8月23日にGSOMIAの破棄を発表した韓国当局者は「事前に米国の理解を得ていた」と主張しましたが、マイク・ポンペイオ国務大臣はじめ米国政府の高官は異口同音に、強い懸念と失望という表現を用いて、韓国政府の言い分を真っ向から否定しました。これは同盟国に対する批判表現としては異例の強さです。
韓国大統領府の関係者は発表後の記者会見で、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が8月15日の光復節での演説で日本批判を抑制したにもかかわらず日本側が無反応だった態度は外交努力を欠いていると批判し、これがきっかけであることを匂わせました。
日米の安全保障関係者には、文大統領は安全保障の意味を理解していないのではないかとの疑念も生じていますが、韓国大統領府の関係者には、日米韓の密接な協力を前面に出すことは朝鮮民族の南北融和の妨げになるという、全く逆な考えもあるようです。そこには文大統領が南北の融和と民族の統一を何よりも重要視するのに対して、日米は現状の南北の対立を前提として地域の安定と安全を確保するという安全保障観の大きな相違が伏在しています。
安全保障観の相違はともかく、GSOMIAの突然の破棄がこの地域の安全保障にどのような弊害とリスクをはらむかについては後述します。実際、破棄発表の翌日8月24日、北朝鮮は新型の短距離ミサイル2発の発射実験を敢行しました。それまでは、8月5日から20日までの米韓合同軍事演習への反発と位置づけていたミサイル発射をこの時点で行う意味は明瞭だと思われます。
●現在の日韓関係を規定する戦後の日韓関係
今回の日韓関係の悪化の意味と背景そしてこれからを考えるには、文在寅という人物と彼の政権の在り方を理解することがまず何よりも重要と思われます。
太平洋戦争直後、朝鮮半島は米ソの勢力によって38度線を境に事実上分割統治されました。1948年8月15日、李承晩(イ・スンマン)がソウルで「大韓民国」建国を宣言しました。その直後、9月9日に金日成(キム・イルソン)が「朝鮮民主主義共和国」の成立を宣言しました。李承晩は併合時代の日本統治に反発してアメリカに亡命し、ハーバード大学やプリンストン大学などの最高学府に学ぶとともに朝鮮独立運動に一身を賭けた、大変優秀な人でした。しかし、日本の降伏直後にアメリカが38度線を境にした分割統治をソ連に提案したことに対して、不信を強めました。
李大統領失脚後、韓国の政治は保守と革新陣営の激しい相克の歴史を歩んできました。しかし、私の意見では、保守というよりも日本の力を認めてそれを利用しようという陣営と...