●文在寅氏は歴代の政治家の中でも特に強い反日容共派
朴正煕(パク・チョンヒ)政権の日本利用の系譜がその後、全斗換(チョン・ドファン)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政権への受け継がれていくのに対して、日韓併合を民族の屈辱と捉え、日本の戦争についての謝罪も賠償も不十分だと考える強烈な反日、そして必然的に親北朝鮮の流れがあります。彼らは、戦後の体制を日本に根本から反省させ、日本を利用しようとしてきた「保守派」を清算せねばならないと考えています。それは、尹ボ善(ユン・ボソン)、盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、そして文在寅(ムンジェイン)政権に受けつがれます。その系譜の中でも、文氏は特別に強力な反日、そして容共派といえます。
単に思想的な信条だけでなく、彼の場合には、彼の理想を実現するために必要な、経済的そして国際政治的力量を持っていると、自分自身考えていることに起因しています。そして、それは単に画に描いた餅でなく、それなりの実績を挙げているという自信に裏づけられた行動に結びついているという点で、彼は先輩たちにはない強烈さを秘めているといえます。
その背景の一つには、現在の韓国の経済力が彼の先輩達の時代とは比較にならないほど高まっていることがあります。1960年代には韓国の一人当たりGDPはおよそ日本の8分の1でしたが、近年では名目的には日本のおよそ85パーセント、実質的には同等以上と考えられています。サムソンなどの主要先端企業は、世界市場で大きなシェアを誇っています。
もう一つは、親北派の悲願である南北対話を金正恩(キム・ジョンウン)委員長と手を取り合って休戦ラインを超えるという劇的な形で実現したばかりでなく、ドナルド・トランプ大統領に接近して米朝首脳会談の契機をつくったという自覚が、国際政治のリーダーとしての自己認識を形成しているということです。
これらの経済的ならびに国際政治的プレゼンスの高まりは、相対的に韓国にとって日本の地位と重要性を低下させました。一方の安倍晋三首相は、日本憲政史上最長の首相になるなど、国内的また国際的リーダーとして強い自己認識を持っており、互いに容易に譲歩や妥協はしない、あるいはできない状況になっています。
●文在寅大統領の経歴と現在の政策への影響
ちなみに、文氏は1953年、韓国南部の巨済島の生まれです。両親は現在の北朝鮮地域出身のいわゆる「失郷民」で、今も叔母が北朝鮮にいる離散家族です。大学時代、朴正煕政権を批判する民主化運動に参加して逮捕され、服役を繰り返しました。出所後、司法試験に合格しましたが、前歴から検事や判事にはなれませんでした。人権弁護士として知られていた盧武鉉氏と出会い、合同法律事務所設立し、盧氏が大統領に当選した後は、最側近として青瓦台で要職を歴任しました。
盧氏は退職後、親族らが相次いで贈賄容疑で逮捕されました。自身も検察の聴取を受け、2009年5月自宅裏山の崖から投身自殺しました。この事件は、韓国で大きな話題となりました。文氏は、盧氏の不名誉を晴らすため、一説では約13万人参加したといわれる国民葬を取り仕切った後、政界入りしました。
2012年大統領選に出馬し、統合民主党の有力候補になりましたが、セヌリ党の朴槿恵氏に惜敗しました。朴氏は両親を暗殺され、一人で活動してきました。非常に優秀で、どの学校でも一番以外取ったことがないといわれています。彼女は、「結婚はしない。祖国韓国と結婚する」と述べて大きな人気を博し、僅差で文氏に勝利しました。
しかし、セヌリ党の内紛や崔順実事件で、文氏の「共に民主党」は党勢を回復しました。文氏も、朴大統領糾弾の1000万人ローソク集会などを推進したといわれています。朴大統領弾劾免職後は、選挙を経て大統領に選出されました。
元駐韓国全権大使の武藤正敏氏は歯に衣着せぬ論客ですが、大統領選直前の文氏になんとか面会をすることができました。彼は日韓関係の発展などには全く興味はなさそうで、もっぱら北朝鮮との融和、民族の統一、竹島など日本との領土問題そして歴史問題に関心が集中しているという印象を受けたと、武藤氏は著書『韓国人に生まれなくてよかった』の中で述べています。彼の最大の目標は南北融和と民族統一です。北朝鮮の核兵器は自己防衛のためであり、韓国攻撃はあり得ないと確信しているようです。
日本の輸出管理強化に直面して、文氏は8月5日、「北朝鮮との経済協力で、私たちは一気に日本に追いつくことができる」と発言しました。これに関して、文氏の頭の中では、韓国にとっての敵性国家は北朝鮮ではなく日本になっているのではと思わせる発言では、と前回紹介した高橋浩祐氏は指摘しています...