●マルクス経済学はなぜ主流から滑り落ちたのか
―― もう一つお聞きしたかったのが、僕らの年代ってまだマルクス経済が強かったんですよ、圧倒的に。あれって、一時期日本に来て、今もうほとんどなくなっちゃった、みたいな感じですが、マルクスの経済学ってどんな感じなんでしょうか。
柳川 僕は、実はほとんどマルクス経済学を勉強したことがないので、その真価を評価できる立場にないですし、現状がどうなっているかを正確には把握できていないので、フェアな判断ができているかどうか分からないのですが、僕なりに思うことはですね、やっぱりマルクス経済学がある意味で難しくなってしまった理由は、「マルクスという名前がついてしまったこと」なのではないかと思います。だから、結局マルクスが当時考えていたことから、あまり大きく抜け出すことができなくなってしまった。
少なくともその当時にあって、マルクスが考えたことは最先端の話だったと思いますし、すごい思想だし、すごい理論だった。だけれども残念ながら、経済って生き物なので、環境も変わりますし、技術も変わります。マルクスが生きていた時と今とでは、例えば、グローバル化のことも全然違いますし、技術も違うわけなので、本質はあまり変わらないかもしれませんけど、それでも随分変わったものがあるんだろうということで、本当はそこに部分的にマルクスを否定するような、学問的な発展が必要だったのではないか、と思います。そこはやっぱり、「マルクス経済学」、という名前がついているがために、マルクスを否定することがなかなか難しかったのでないかと思います。
●今の経済学の面白さは思想体系の中で多面的に切磋琢磨が行われたこと
―― やっぱりマルクスが家元になってしまったのですね。
柳川 そうじゃないかな、と推測するだけですけど。だから、「近代経済学」と通常いわれている、マルクス経済学ではない経済学の方は、一人の思想の枠に捉われないで、ある意味で弱肉強食的な、戦国時代的なものだったので、誰か皇帝がいるというようなことにはならなくて、「これはダメだ」となれば別のモデルを使う、という感じで、ある意味節操もないですね。そういう意味では、一時期では「ケインズ経済学」ということが割と言われていて、確かケインズが考えていたことがぴったりフィットした時代もあったと思うんですけど、もし、ケインズ経済学しか経済学がなければ、同じように適用性を失っていたと思うんですよ。
ただ、今の経済学の面白いところは、ケインズ経済学を全く否定するような学問体系を持った学者が現れ、それがベストだったわけだったわけじゃないと思いますが学問の進化を促し、それに合わせて、ケインズ経済学の側も、ニュー・ケインジアンとか、いろいろと呼んだりしますけど、ケインズの発想を引き継ぎつつも、当時ケインズが思っていることとは全然違う方向で、学問が現れる、ということで、思想体系の中で切磋琢磨が多面的に行われているというところです。もし(マルクス経済学の評価が)下がってきているとすると、そういうところなんじゃないかな、と思います。
●「競争」は世の中や学問を変え、動かすエンジン
―― あまりに偉大な人がいると、その後、進化できなくなってしまうということですね。守らなくてはいけないので。
柳川 やっぱり企業経営とかも同じだと思います。それをいかに否定して新しいものをつくっていけるか、というところが進化だったり、あるいは発展だったりということなんだと思います。
―― ヘッジファンドの系列でいくと、ジュリアン・ロバートソンの芸風と、スタンリー・ドラッケンミラーの芸風と、基本形は二派だったのですが、それがいろいろと枝分かれして、進化して発展しました。ああいう感じで、弱肉強食でいかないと進化しないんですね。
柳川 そういうことだと思いますね。それは、もともとの根っこの部分の一つを守っていた人からすると、それが失われてしまった、と悲しい思いをするかもしれないですけど。結局のところ、世の中は変わっていくということを前提にすれば、それに合わせて、全然違ったものがどんどん生み出されていって、初めて学問も進化するし、世の中というのも、そうやって発展していく、ということだと思います。
―― ある程度の競争のあるところに進化が出てくる。自由に交わせる言論空間があって、進化していけるわけですね。
柳川 その面では、かなり広い意味での競争というのは、世の中を変えていく、動かしていく、大きなエンジンだろうと思います。