●標準化を求められる医学と教育
―― 今の医療って全て標準化じゃないと駄目だという話になるけど、実は医師の蓄えてきた経験とか勘とか、あるいは医師と患者の相性とかがすごく大事なのですね。
堀江 そうなんですね。病院と同じ頃にできたのが学校ですよね。子どもさんとか病人、ある種マイノリティの人に、ある一画に来ていただいて、悪くいえば隔離して、そこで教条的なことをするというのが医師であり教師なんですよ。
ですから、医師というのは放っておくと制限したがる。例えば、患者が100人いた場合、その中で「あなたはすごい。治るとは思わなかったけど治っちゃった」という方がいた場合、それは医学ではないのですよ。これはオカルトになっちゃうんですね。そうじゃなくて、100人の平均値はこうです、というように、大事なのはエビデンスといわれています。おそらく教育でもそうで、「君はすごい、1,000人に1人の伸び方だね」というのは教育ではない。ボトムアップ、つまり底上げをしていこうというのが教育だ、と。
ですから、教育者とか医師はどちらかというと、放っておくと、標準化とか制限するとか、「あなたはこれをしちゃいけません」とかそういう風に行きがちなんですね。きちんとした教育をすればするほど、そうなっていく。
●患者に寄り添い、「手を当てる」ことが求められる医師
堀江 しかし、ある意味、少しいい加減だけれども人間的にすごく面白くてあの先生に会うと、毎日楽しいと。
―― 毎日楽しい、ということですね。
堀江 会うだけで楽しいから会いに行こう、と。そっちの方がその病気を治すという意味ではいいかもしれないですね。ただそれは標準化され得る範疇ではないので、なかなか議論されないけれども、そういうことも当然のことながら大事ですよね。
シリーズ内で「手当て」の話をしましたが、私が医師になったばかりの頃、学校を出て頭でっかちだったので治療のお薬などいろんなことを話した際に、年配の看護師さんから「『手当て』ということは手を当てることだよ」と言われました。「これはほんとうに素晴らしい。いいこと」を教えてもらったなと思いました。その場にいて、場を共有するというのが、医療の大原則ですよね。今は、現場というよりも、より標準化という名前の中で全部クロックワイズ(時計回り)に動いていく。
―― 大きい病院に行って検査...