●入院に対して日本人とアメリカ人では根本的な考え方が違う
―― 山折哲雄先生との対談(『堀江重郎対談集 いのち――人はいかに生きるか』かまくら春秋社)の中で死生観について、どのような終末を迎えるのかという話がありました。お医者さんの世界では、患者が死んでしまったら負けだ、という考えもあるし、一人の人間としてこの辺で人生がおしまいになった方が幸せなのではないか、というような議論もあります。日本はお医者さんというよりも、宗教学者とか哲学者、倫理学者がこの問題を避けてきたので、ここの部分は深まっていませんよね。
堀江 そうですね。日本人は親方日の丸じゃないですけど、いざとなったらどうしても誰かに「負んぶに抱っこ」という部分がありますよね。アメリカ人が日本人と決定的に違うのは、彼らは自立や自由とか、そういうことをプライオリティとして持つので、なかなか入院したがらないという点ですね。
―― なかなか入院したがらないのですね。
堀江 入院するということは、拘束されるということですから。これは日本と全く違います。
例えば抗がん剤の治療にしても、それで完治するということは、現在のところなかなかないわけですね。ですから、最初ではないですけど、どこかの段階で少しずつ話しながら、「人生の中で何をしたいのか」ということを考えていくことが大事だと思うんですね。
―― なるほど。「人生の中で何をしたいのか」ということが大事なのですね。
堀江 そこのところがやっぱりなかなかディスカッションされていません。
●医学では証明できないけれども大事なこと
堀江 僕のところに患者さんがお子さんと一緒に来て、「余命はあと何年ですか」と聞かれることがあるのですよね。僕は、「余命は何年」ということは絶対に言わないんですね。呪いのようになっちゃうので。そこで、お子さんには「今日から親孝行してください」と言います。「分かりました。親孝行します」と言われるのですけど、だいたい1ヶ月ほどすると、抗がん剤を受けているお父さんもお子さんも、抗がん剤を受けていることが日常化しちゃうのですね。これが日常化しなくなってくると、「パトス」(情念、情熱など感情的な精神のこと)といいますが、逆にお父さんも、「よし俺も(なんとかしなくちゃ)」という気持ちになる。ですから、たまにあれだけあったがんが消えてしまった、と...
(堀江重郎著、かまくら春秋社)