●輸出輸入から内需拡大へ。中国経済は次の局面に入った
── 丹羽前中国大使は、近著『中国の大問題』(PHP新書)の中で、「日本にとって輸出入ともに最大のお得意先である中国について、ネガティブな話を大きく伝える日本のマスコミは相当問題があるのではないか」と指摘されていました。本当にその通りだと思いました。日本が中国から手を引いたとしても、代わりにドイツが、メルケル独首相が来るだけだろうという。そういった見方、視座が、やはり普通の政治家や外務省の人とは全然違うという印象です。
丹羽 世界の歴史を見れば、結局、経済の強いところに皆が集まってくるのです。アメリカがなぜ世界一になったかというと、世界の経済の中心だったからです。そのときに大事なことは、皆が英語を話す(言葉が通じる)ことです。そうでないと経済ができなくなる。あとは皆、儲かるところに集まってきます。それは当たり前のことです。そうして市場がどんどん大きくなると、自国だけはもうとても支えきれませんから、世界各国からの力で経済が発展していくわけです。
中国も同じで、自分の国だけではもう限界があるから、いろいろな国の力を借りて、輸出輸入を増やして、そして国内の市場を拡大していく。最終的には、輸出入よりも国内のマーケットの力が大きくなるわけです。
ですから、決して何の不思議もない。資本主義の過去の発展段階をよく見れば、中国もその同じプロセスをたどってきているわけです。
日本は隣国なのですから、われわれもそれを踏まえて、中国をそういう目で見なくてはなりません。日本の中国に対する経済的な影響力は急速に弱まっていますが、しかし中国から見た場合、日本はまだまだ欧州、アメリカに次ぐ位置にいます。日本から見れば中国がナンバー1の市場ですがね。この傾向、日中のこうした関係性はもうしばらく続くのではないでしょうか。
●他国をモデルにするには巨大すぎる。中国経済の去就と危機
── そうすると見方によっては、今の中国を仮に清朝に例えると、ピークである乾隆帝時代までもまだいっていなくて、その手前の康熙帝時代にあたるというようにも見えそうです。また、オスマン帝国を思うと、いわゆる暗黒の中世の裏返しのようなかたちでイスラム世界が全盛の時代、オスマン帝国が圧倒的な力を持つ世界の中心、経済の中心として、世界に君臨していました。その前はといえば、中国の唐の時代でした。さらにさかのぼればローマ帝国も、世界の覇権の仕組みというのは、いつの時代も同じなのですね。
丹羽 中国の場合、康熙帝は清朝の第4代目の皇帝ですが、清朝は満州族の王朝です。滅満興漢(太平天国運動以来漢族によって主張された革命のスローガン)を掲げた運動や革命の時代を経て、そして今の漢族による、王朝とは言いませんが、中国共産党の政権が成り立っているわけです。ですから清朝とは少し比較ができないのですが、少なくとも鄧小平の改革開放(1978年~)というものが一応成功して、今はまだその過程にあります。
だから、その過程をどのように中国の社会主義型資本主義に活かすかというと、王岐山に言わせると、今までの資本主義国家は中国のモデルにならないそうです。なぜならば、中国は他と比較にならないほど規模が大きい。だから、あらゆることについて独自にものを考え、独自に自分たちの政策を考えていかなければいけないのだと。
これはきっと正しいと私は思います。ですから、為替の動向にしても金融のあり方にしても、例えば資本主義国家であるアメリカや日本のしていることをそのままやっても成功しません。そういう中からエッセンスをつかんで、中国型の資本主義社会を確立していくことが大事だと思います。
鄧小平の改革開放で資本主義、市場経済の改革開放が進められましたが、やはり中身がまだまだ独裁的な国家資本主義なわけです。このまま今のやり方をしていたのでは、失敗します。なぜかというと、国家資本主義というのは官僚が支配します。競争がなく、国営企業が圧倒的なウエイトを占めています。官僚は経済のことが分からないのに上からの命令でやる。しかもお金は、競争力に応じたかたちではなく、国家が出す。親方日の丸です。そうすると、本当に儲けなければ会社がつぶれるという世界ではないわけです。「経営者は言われたことをやっていればいい」「金は政府が出す」と。これでは資本主義経済は発展しません。それなら社会主義経済がいいかといえば、昔のソ連は言うに及ばず、今のロシアもまだまだ危うく、また中国の国営企業も非常に危なっかしい。
ですから、それは李克強が一番研究していると私は思いますが、これから中国は、どうしたら社会主義型資本主義というものを軟着陸させていけるかを真剣に考えないと、このままでは、今まで...