●旅程の最後はフィラデルフィアへ。総領事から情報収集
残りあと2日の行程になったので、ペンシルベニア州のフィラデルフィアへ行きました。
ケンタッキーでは非常に濃密なプランが組まれていて、行く前から誰が来るかも分かり、その人の履歴等も全部手に入っていたのですが、フィラデルフィアではほとんど何も手に入らない。なぜかと言うと、フィラデルフィア方面で面倒を見てくれるニューヨーク総領事館が、あまり協力してくれなかったようなのです。
もしかしたら外務省の方には、「外交は俺たちがやるのだ」「官邸が思いつきで何かやるなんて」という感じがあったのかもしれません。私は、それは少しおかしいのではないかと思いましたから、到着すると総領事館へ連絡して、「少なくとも総領事は、必要な情報を私に提供する義務があるのではないですか」とお願いをしました。総領事が電話をかけてくれて、熱心にいろいろと情報をくださったので、とりあえず私としてはそれを了として、現地活動を始めたのです。
ここでもやはり日米協会が大変頑張ってくれ、すてきなレストランで実に素晴らしいレセプションを開いてくれました。いろいろな立場の皆さんが会場に集まってくれました。
●独立宣言の町フィラデルフィアは、芸術と文学の都
フィラデルフィアは、アメリカの中でも大変誇りの高い、伝統的な土地柄です。なぜかと言うと、フィラデルフィアは独立宣言が起草された町だからです。独立宣言が読まれたのもフィラデルフィアですし、ワシントンが首都になる前の10年間はアメリカの首都でもあったのです(その前はニューヨークがやっていたようですけれど)。
そういう故事来歴があるため、遺跡が随分ありますし、芸術・文学の都です。ハーバードやコロンビアと同じクラスのペンシルベニア大学という、相当にレベルの高い大学があります。それから、全世界の美術品を集めたフィラデルフィア・ミュージアム・オブ・アート(フィラデルフィア美術館)。こちらはルーブル美術館やボストン美術館などと肩を並べる存在で、キュレーターさんたちも非常にレベルの高い人ばかりです。
私たちのレセプションに来てくれたフィッシャーさんという方は、ここの東洋美術部長で、日本への関心がとりわけ深い方でした。長い間の貢献に対して、日本政府からの勲章を受賞されています。そういう方をはじめ、ビジネスマンやいろいろな人たちが集まり、忌憚のない議論をしてくれました。大変いい集まりでした。
●フィラデルフィア美術館でお茶室と浮世絵に遭遇
翌日は、そのフィラデルフィア美術館に行きました。エジプト、中国、インド、日本と全世界のセクションを持っていますが、われわれは日本のセクションに案内いただきました。キュレーターさんが3、4人集まって、いろいろな話をしてくれました。
アメリカ人に日本文化を理解させるために、美術館の中にはお茶室が作ってあります。茶室に至るドアウェイとして石畳もしつらえ、空も日本の空に似せた空間を作っています。
なぜそういう所にそんなものを作るのか。子どもたちを呼んだときに、「これが日本よ」と見せても、全体像が見えないと分からないからと考えて、そこまでやってくれているのです。
フィッシャーさんはチーフですが、非常に感心したのは教育専門のキュレーターの存在です。「何をやっているの?」と尋ねると、「アメリカの小中学生に日本の美術、特に版画の良さを教えている」と言うのです。
見せていただいて本当に驚きました。版画コレクションを、とても立派な美術書として出版されているのです。版画というのは、要するに浮世絵です。
●明治期の浮世絵を出版し、教える美術研究の心意気
浮世絵といえば、葛飾北斎や喜多川歌麿あたりが基本です。18~19世紀の二百数十年間に日本で熟成され、世界で無二と言われる超精密アートの深みを達成した、日本の誇るべき芸術です。
江戸時代、家光将軍ぐらいの頃から次第に出てき始めて、江戸時代の後半に歌麿以下多くの絵師が出て最盛期を迎えますが、明治になると急に廃れていきます。
実は、日本には今でも浮世絵師がいますが、もう「何人」と数えられるほどになっています。明治になる頃に黒船が来たというので、浮世絵師は大慌てで黒船を描いたりするのですが、その後は急激に廃れてしまいます。
なぜかと言うと、日本はもう総西洋化で脱亜入欧だったからです。黒田清輝のように、皆さんフランス美術の方面へ傾倒していく。油絵などがどんどん流行ってきて、浮世絵などは隅っこに追いやられてしまうのです。
ところが、この美術館のやっていることはどうでしょう。明治期の数少ない有名な浮世絵師の作品を、何百ページという本にして、何冊も印刷して、教えているの...