●スムート=ホーリー関税の悲劇
―― トランプ大統領の関税を考えるときに、歴史に学ぶということが非常に重要だと思うのです。よくいわれるのが、1929年以降の大恐慌期に行われた「スムート=ホーリー法」も高関税をかけたがために、世界がますます恐慌になったということですが、こちらとの比較ではいかがでしょうか。
柿埜 このスムート=ホーリー関税といったら、最悪の関税の代名詞のようなものです。それとトランプの関税を比較するのは失礼ではないかと思われるかもしれないですが、あまりそうではないことがこれから分かると思います。
このスムート=ホーリー関税というのは、スムートもホーリーもアメリカの共和党の議員なのです。1920年代~1930年代の共和党は、保護主義の政党だったのです。トランプは、だからそこに戻ったといえば戻ったところがあるのです。それまで「民主党が関税を下げすぎたのだ。もっと関税を上げなければいけない」と共和党の人たちが言っていましたが、このスムートとホーリーは、その急先鋒の人たちだったわけです。
1920年から少しずつ関税を上げているのですけれど、「これではまだ足りない、思いきり引き上げるのだ。農業製品、あるいは工業製品のどちらも守る関税をつくるのだ」といって、この2人が張りきってつくったのがこの関税法案だったわけです。
1929年5月に下院を通って、この法案がいよいよ成立かとなり、次は上院だといったときに大恐慌が起こって、アメリカは株価が大暴落します。1929年10月にウォール街の株価が大暴落するのです。
今だったら、というより常識的に考えて「これはなにか大変なことが起こりそうだ」と思って、この関税法案をやめておこうと考えるのが普通だと思います。(しかし)当時の考え方はそうではなくて、「アメリカの産業を守るためにますます関税法案を頑張って成立させなければいけない」と、スムートもホーリーも考えたわけです。フーバー大統領も、これはぜひ成立させるべきだと言って、結局、年が明けて1930年3月に上院で可決されて、フーバー大統領が6月に署名して、これが成立することになるわけです。
だから、当時の経済学者たちは、今も同じですけれど、「これはとんでもない法案だ」と(考えた)。右から左までいろいろな経済学者がいたのですが、当時のアメリカの経...