●日中歴史共同研究における「南京事件」死者数問題
日中関係や日韓関係にも関連して、少し歴史を世界史的に考えてきましたが、日中歴史共同研究に参加した者として申しますと、南京事件というものが大変大きな問題であったことは事実です。
私たち日本側委員は南京事件の犠牲者、死者数について、どう考えてみても一番上限で20万人にはいかない。そうしたことを資料に基づいて語り、そして学説的にいうと4万人説、あるいは2万人説というものもあると虚心に紹介しました。
ところが、中国側委員の発想は全然違うのであって、彼らは史料的根拠が定かではない数字として、被害者の総数を30万人以上だと主張して譲りませんでした。ある委員などは40万人というような数字を挙げた人もいたように記憶しています。
●歴史を政治外交の武器にしようとする手法が繰り返されてきた
特定の事件だけが歴史の記憶に残り、そして記憶され続けるのは、歴史認識というランプの当て方で、いってしまえば被写体の見える部分に濃淡が出てくるからです。国民統合や世論を意識した外交は、現在の韓国において特に顕著なように、政権が変わる度に、歴史というあるライト、スポットが当たっていた箇所が変わっていく。そして、そのライトが当たっていた箇所をますます強くするか、あるいは弱めていくということが起きてくるわけです。
一番困るのは、当たっていなかった箇所に関してことさらに新しい問題として、「事件だ、事件だ」と言って大きく問題視し、常に歴史というものを政治外交の武器にしようとする、そういう手法がこれまで繰り返されてきたことです。こういう繰り返しについて、私たちはどう対応していくのかという問題が21世紀の今において問われているという、ただそれだけのことなのです。
そのことに関して過剰に、日本の国内の政治状況の変化だとか、あるいは日本の政党支持者、国民の意識の大きな変化とか、こういうことに全てを結びつけていくのは、必ずしもそれに当たらないのです。
●歴史の堅実な究明より責任追及のメカニズムを優先した文在寅大統領
どちらかというと、現在の韓国・文在寅大統領の認識は、それでも過去には共同研究といったようなものが行われましたし、そういう試みもありましたが、そういう堅実な歴史の究明よりも、いわゆる加害者の責任といわゆる被害者による追及の関係を恒常化しよう。あるいはそれを常に構造化したものとして、置いておこうというメカニズム、そういう構造的なメカニズムというものがつくられたということであり、1回これをつくってしまうと自己運動を開始してしまうということなのです。
それが行き過ぎたと考えてから、その自己運動を止めようとしても、今度は始めた文在寅大統領自身がそれを止めることが難しくなってくるという状況が生まれるのです。今の日韓関係で生じている事態というのは、まさにこういう追及の構造、加害者の責任と被害者による追及の関係のメカニズムが自己回転を始めて、なかなか止めることができなくなってきているという状況に韓国の国内がなっていなければいい、それは杞憂であればいいとは思っていますが、私はいささか不安を感じています。
文在寅大統領にとって重要なのは、私の見るところ史実ではなくて、政治のルールに基づいて相手側を外交的に屈服させる、あるいは相手側を政治的に説得させるということなのです。これは、文在寅大統領によるいわゆる慰安婦合意の全面撤回、せっかく両国の外交当局、政府が苦労してつくった「癒やし財団」等々の一方的な解体、解散、そして徴用工をめぐる日本企業に対する最高裁判決というものについて、行政府だからそれは関与できないといって一方的に賠償判決を守るべきだという、こういうようなスタンスに国民を誘導していくような方向になっているということなのです。
●歴史を事実性で議論するか、政治性で見るかの違い
他方、中国政府と中国共産党は、日本が戦後約70年間歩んできた平和国家の実績や、あるいは中国の繁栄の基礎に対して日本がささやかながらとは言えません。日本の国民の税金からかなり私たち自身が積極的に支援したODA(政府開発援助)を介した中国発展への貢献というものを、日本の反省や謝罪の表れとして認めようとしたことがほとんどなかった。
それどころか、中国の人民は日本のODAによって、中国社会というものが基礎的に発展していく礎がつくられる、その一助になったということに関して語りたがらない。何も語らなければ、それは日本が戦争だけをした国、あるいは日本は被害を与えただけの国だと考えられ、日本人が示している反省や歴史に対する謙譲、謙虚な目での自己批判といったものが、伝わらないということになりかねません。この点が大変、私たちにとって心外でもあ...