基礎的史実を踏まえ日本の近現代史を考える
皆さん、こんにちは。
今日はまず、『日本近現代史講義-成功と失敗の歴史に学ぶ』(中公新書)という本についてご紹介しながら、しばらく連続的に日本の近現代の歴史の構造、またそれをつくりあげていった徳川時代、日本近世の「日本1・0」に関わる問題などについてお話ししたいと思います。歴史とは何かというやや上段に構えることになりますが、少し大きな見方、構造でものを考えていくことにしたいと考えています。
私は友人たちと一緒に『日本近現代史講義-成功と失敗の歴史に学ぶ』(中公新書)という書物を出しました。
この中にはおよそ14編の論文、論説が入っていて、中国近代史、日本近代史、日中関係史、あるいは日韓関係史の先生方が参加してくださり、現在の日韓関係や日中関係、ひいては日本の現代政治の構造を理解するための基礎的な知識について記述しています。いろいろ議論する際には基礎的な史実や事実というものが踏まえられていなければいけません。その基礎的史実の捉え方などについて、バランスのとれた見方を保証しているのではないかと、私たちは自負しています。
私はこの本の中で全体の編集に当たりましたが、同時に明治維新から150年余り日本近現代史の研究を、プロパーの日本近現代史の専門家とはやや違う問題意識の視点で、世界史と融合した新しい歴史を模索する。そういう一助としてこの書物の編集を心がけました。
●2つの大戦は日本にとって不幸であり幸運でもあったという見方
私の大好きな古代のエッセイストのはしりでプルタルコスがいますが、プルタルコスは『モラリア(倫理論集)』の中で、次のようなことを言っています。それは「ああ、不幸なことは幸運なことよりも、なんとたやすく世間の耳に届くことか」と。よいことはなかなか人々の耳には届かない。しかし、悪いこと、不善なることはすぐ耳に入り世間の間に広まる、という現代の日本、あるいは日韓関係、日中関係で起きているようなことを喝破するかのような指摘でありました。
例えば、2015年は第二次世界大戦の終結、すなわち日本の敗戦から70年に当たっていました。この70年という数字ですが、よく私たちは50周年とか70年とか100年、こういう単位でものを考えます。しかし...
(山内昌之・細谷雄一編著、中公新書)