●第二の人生のモデルを伊能忠敬から学ぶ
―― 本日は童門冬二先生に、「第二の人生を生かす工夫と覚悟」ということで、伊能忠敬のお話を伺いたいと思っております。先生、どうぞよろしくお願いいたします。
童門 よろしくお願いいたします。
―― 最近、企業でも「リカレント教育」ということがよく言われて、いわゆる学び直しということで、40歳とか、50歳ぐらいの方々がまさに第二の人生を目指して、どう考えればいいのかとか、どういった生き方をすればいいか、ということについて、研修で取り組むケースが多いらしいのです。
そういうなかで、やはり皆さまがパッと頭に思い浮かべる1人が伊能忠敬だろうと思います。今見ても驚くほど精巧な日本地図を、まさに隠居した後で勉強を始めて、つくり出したというところは、今後の生き方の何か参考になるのではないかというところで、伊能忠敬についてお聞きしたいと思っております。
童門 分かりました。
―― ただ、そうは言っても、いきなり隠居の話からしても話が分かりませんので、まず伊能忠敬はどういう少年時代、壮年時代を過ごしたのかというところからお聞きしたいと思います。そもそもどういう少年だったんでしょうか。
童門 悪い言葉を使えば、やや肩を落とした、ぐれていた。
―― ぐれていた、と。
童門 これは家庭の事情だと思うんです。伊能忠敬のおじいさんは、九十九里のかなり大きい、なんていうんでしょうか、船稼業の親方だったんです。伊能忠敬のお父さんはそこへ養子に入ったんですけれども、そっちにはあまり向かない。どっちかというと学者肌で、まじめにコツコツと1人で生きていくというようなことならやれるんだけれども、大勢の荒くれ男を使ったり、現場の指揮を取ったり、荒海に乗り出してどうこうというのは不得意なのです。
結局、忠敬さんは、ある年までそこの家で生まれ育ったんですけど、自分の立ち位置がつかめない。おじいさんを見てれば、ガミガミと自分のお父さんを怒鳴りつけて、なんとか一人前の漁師宿の親方にしようとしている。ところが、先ほど言ったように、お父さんのタイプは全然違いますから、忠敬さんは間に入って、子どもながらにとても心を痛めていたんです。
●少年時代から星の知識は大人顔負け
童門 だけど、そんなことをいっていても、やっぱり自分もお父さんの子であり、おじいさんの孫なんだから、少しでも家に役立つようなものをしたいな、と思っていた。
そんな忠敬さんですが、星が好きだったんです。
―― 星、つまり天体ですね。
童門 子どもの時から星を仰いでは、いろいろ自分なりの説というか、意見として家の中で言っていた。ですから、周りからは、賢い子どもだという印象を持たれていたわけです。
ある時、漁師の1人が、「われわれは海へ出て暗くなってしまうと、家に帰ってくる目標がないんだ」と言う。九十九里は長い浜辺だから、坊ちゃん、何かそういう目印になるものがありますかね、と。そこで忠敬さんは、「じゃあ日が暮れたら、ちょっと私と一緒に浜辺に立ってほしい」と答える。外へ出て、北の空を指差して、「あそこにひしゃくみたいな星があるでしょ。七つ。北斗七星ですね。長いのが柄で、曲がっているのが……」
―― ひしゃくの器のところですね。
童門 そうそう。ひしゃくです。その一番外辺のところを指して、「これを目で測ってごらんなさい。測ったら5倍に伸ばしてごらん」と。すると、「ああ、あそこにピカピカ光る星が見えました」となって、「それは『北極星』といいます。だから暗い海で迷ったときは、まずあのひしゃくを探して、外辺を5倍して、その光る星をさがしてください」と答えます。というのは、なぜかというと、あの光る星は動かないとは言わないけども、そんな滅多にしじゅうグルグル動くような星じゃないから、あれを目標にしたら帰ってこられますよ、ということです。
そういうことを言っているものですから、おじいさんが感心しちゃうんです。これは忠敬の親父よりよっぽど賢いだろう、と。
―― なるほど。
●ぐれながらも、好きな学びを深めていく
童門 それで、お父さんはついに愛想を尽かされているなという自分の立場が分かったので、ちょうどその家の家付き娘の女房が死んだのを機会に故郷へ戻していただきたいといって、養子縁組を解消して故郷へ帰ってしまうんです。ところが、おじいさんが、「この息子(忠敬)は連れて行っちゃダメだぞ。おまえよりよっぽどよくできるんだから、これはなんとか残すんだ」と言って、結局忠敬を残したまま、故郷へ帰るんですけど、すぐ再婚してしまいます。
そうして、忠敬さんは残ったのですが、やっぱり自分も船稼業は向かないなと。本当は天体の研究をしたり、測量をやったりすることが自分の進む道だ...