●幕末の混乱期と現在の問題は、本質が同じである
―― 佐久間象山は幕末の混乱時代の人物です。しかし同時に、彼の思想は今、起きていることに関して、ものすごく示唆的ですね。
田口 そうです。非常に共通項があります。問題の本質は、まったく変わりません。
―― すでに混乱が始まっていますが、ここから10年で起こっていく事象を見るために、ものすごく重要な視点になりますね。
田口 そうですね。当時は西洋列強がどんどん押し寄せてきました。今は、隣国の中国など、要注意の波に日本は取り巻かれています。国難という状況は、全く変わりません。
●技術革新の時代にどう対応するべきなのか
田口 さらに、明治で近代化した国家は、どうもうまく機能していないんじゃないかという状況になっています。そのため、これを直さなきゃいけません。新しい国家像を今、話さなきゃいけないのです。さらにそこに、AIや量子コンピュータのような第4次産業革命が到来しています。そうした技術がどんどん進んでいるときに、この技術をどう取り入れるかということです。
●道徳と技術の相互補完が求められている
田口 佐久間象山は、非常に重要なことを言っています。まず、東洋は道徳、西洋は技術と区別しています。そして、この両者が相まって初めて技術が生き、人間の社会も非常に快適なものになるといいます。要するに、両者が相互補完関係になっていかないとダメなんだと考えていたのです。
こうした考えに従えば、東洋からは、人間のあり方や人間観をちゃんと世界中に発信し、西洋から先端技術が入ってきても、人間や人間がつくる社会はどうあるべきかを定めておくべきです。そうすれば、新しい技術がそこに入ってきても、両者が融合し、人間を苦しめることなく、人間社会を快適にすることができます。人間社会の持っている矛盾を技術によって解消するようなものが、人間サイドからもっと出てこないといけません。まず人間観や社会観が確立し、それに技術が後追いで出てこないと、ダメなんです。ところが現在は、技術がどんどん先行してしまい、「こういうのもできるんですよ。こういうことも可能なんです」と、そちらにばかり行っています。これはとても危ういことです。
●転換期に求められる、技術の基礎となる哲学・思想
―― 3.11で原発問題が起こった時、私の中ですごく印象的だったことがあります。その時、フランスの科学チームと話をしたのですが、「トランスサイエンス」という考え方がやはり重要だというのです。本当に重要なことを科学者や専門家だけで議論してはダメで、その上に、哲学や歴史、宗教が必要だろうということです。そうした人たちを混ぜて、議論する。そして、トランスしたサイエンスがないと、原発のような重要なものを扱ってはいけないというのです。先生がおっしゃるように、日本にはこうした議論が全然なかったんじゃないか、と。
そこをずっとたどると、私は先生の話をずっと聞かせて頂いているので、その含意がはっきりと分かります。国家の構想係が幕末から明治の初めの頃に死んでしまいました。横井小楠と佐久間象山が生きていたらどうだったかという議論は、フランス人に言われた先ほどの話に、非常に密接に結びついています。やはり、トランスサイエンスっていう部分が、本当に大事です。つまり、技術は技術屋に任せればいいわけではなく、もっと違うところで考えてかなきゃダメだということです。
ここまでの先生のお話は、トランスサイエンスという考え方が日本になかったことが悲劇であることと同じことですね。
田口 まさにその通りです。特にこういう転換期には、こうした問題が露わになります。つまり、転換の末にどうなればいいのかというときに求められるのは、人間観や社会観、宇宙観です。思想・哲学が基本にあって、そこから導かれた将来構想がなければ、何にもならないわけです。例えば単なる、「こんなこともできるんですよ。あんなこともできるんですよ」という技術の使い方に関する見世物になってしまう。これは人間の叡智を冒涜しているといっても良い。お隣の中国でも、ちょっと間違えると技術先行型の社会になってしまうという状況です。そんなときに日本の役割は、「それはよくないんじゃないか」といって人間観、宇宙観、社会観についての思想・哲学を提供することです。
―― 確かにそうですね。
●日本の「たまり文化」と佐久間象山に学ぶことの意味
田口 それだけのものを、日本は持っています。いつも申し上げることですが、儒教や仏教、道教、老荘思想、禅仏教、神道、こうした5~6個ほどの思想哲学を7世紀余りの間に累積させた国なんて、他にありません。だから、思想・哲学立国といってもいいのが日本なんです。
―― なるほど。7世紀の間に全てが蓄積さ...