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次の時代は絶対にアメリカだ…私費で渡米した原敬の真骨頂

今求められるリーダー像とは(3)原敬と松下幸之助…成功の要点

神藏孝之
公益財団法人松下幸之助記念志財団 理事 /松下政経塾塾長代理/テンミニッツTV論説主幹
概要・テキスト
猛獣型リーダーの典型として、ジェネラリスト原敬を忘れてはならない。ジャーナリスト、官僚、実業家、政治家として、いずれも目覚ましい実績を上げた彼の人生は「賊軍」出身というレッテルから始まった。世界を見る目を養い、私費で世界周遊した成果を日本に還元しようとしたのが原敬の真骨頂である。成功モデルのない時代に「自分で自分の絵図面を描く」という点では松下幸之助もまた同様である。最後に松下流「経営者の要諦」を解説し、本講義を締めくくる。(全3話中第3話)
時間:12:44
収録日:2024/09/26
追加日:2024/11/20
キーワード:
≪全文≫

●スーパージェネラリスト原敬の猛獣性


 もう一つの猛獣型が、戦前に活躍した原敬です。原敬は南部藩という賊軍の出身でした。もともとは家老の息子だったのが、(維新により)藩自体がつぶれてしまった。彼は次男坊で、(東京へ)勉強にやって来たものの騙されてしまう。そこでフランス人神父の書生を務めて、フランス語を学びながら日本の通訳をして書生をしながら、(人生の)組み立てをしていきます。

 原敬はどういう人かというと、スーパージェネラリストです。彼は28歳ぐらいで外務省に中途入省して、30歳の頃にはもう通商局長になる。39歳のときに陸奥宗光に引き上げられて次官となり、外務省の頂点に立ちます。

 その後、陸奥宗光が亡くなると、大阪毎日に入社します。主筆として入社し、(翌年には)社長に就任して売上を3倍にする。また、同じような形で古河鉱業にも招かれ、副社長に就任しますが、実質的には社長として活躍し、隆々たる会社にしています。

 政党人としても、伊藤博文が立憲政友会をつくったときに、初代幹事長として招かれます。その後、西園寺(公望)を総裁にいただくと、日露戦争後、桂内閣の後の西園寺政権を実質的に内務大臣として支え、第二次政権まで組閣させます。

 原敬は(明治維新のときは)賊軍の人だったため、徹底的に山縣有朋と対立します。最終的には「米騒動」が起こったため、山縣も原敬に政権を渡さざるを得ないことになります。

 原敬の率いた立憲政友会は、現在の自民党の始まりです。11月4日の夜7時は、原敬が東京駅で暗殺された時間です。そのため、昔は自民党の人たちがこの日によく東京駅を訪れていましたが、ついに昨年(2023年)は、齋藤健一人しか来なかった。自民党の中でさえ、自分たちのもとをつくった原敬のことが忘れられてしまうのか、と感じ入りました。


●アメリカを私費で見聞した原敬の真骨頂


 原敬の人生は、三つの分野でスペシャリストだったためにスーパージェネラリストとなりましたが、やはりかなりの苦難がついて回りました。(第一次西園寺内閣で)彼(原敬)は内務大臣が終わった後、私費で、今のお金で2億円ぐらいかけて、主にアメリカを見に行きます。外交官としてフランスの代理公使もやっていたので、フランス語も堪能だったので、ヨーロッパは知っていたのですが、アメリカ...
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