●30歳を越えてから全てを捨て、外国語と新しい技術を学んだ
佐久間のすごさがどこにあるのかというと、30歳の時にはすでに、江戸で評判の朱子学者になっていたという点です。―― 30歳で最初は朱子学者だったのですね。
田口 そうです。しかも江戸にはいろいろな分野の名家があるのですが、そこで一番の人、つまり儒家の思想という分野で1番になりました。名家として『江戸名家一覧』に書かれたということは、松代の田舎から出てきて、江戸で儒家の塾を出し、認められたということです。当時は人生50年ですから、そこまで行った人たちはみな、残りの20年間を「私は高名なる儒学者、朱子学者です」と言って生活します。
ところが佐久間は32歳の時、それを全部捨てるんです。
―― すごい決断ですね。
田口 どうしたかというと、それこそ丁稚小僧のように、全てを捨ててイチから勉強したのです。蘭学塾へ入門し、オランダ語を勉強しました。それまでの名声は、全部捨てたということです。なぜそうしたのか。なぜなら彼は、「夷の術をもって、夷を制す」という考えを持っていたからです。「夷」とは外国という意味です。ここまできたら、「外国の術をもって外国を制す」ということしか、もう手がないと佐久間は考えました。
外国の技術に精通するためには、何が必要か。外国人と同じように、外国語が堪能でなければ、原書が読めません。原書が読めないと、技術を習得することはできない。彼はそう考え、「アーベーツェー(ABC)」から、つまりイチから蘭語を勉強したのです。すごいのは、普通の人だったら1年かかるところを、佐久間は2か月ぐらいの単位で全部習得していったということです。7年たつと、日本有数の蘭学者になるわけです。
●佐久間象山のすごさは全て自分でつくるところから始めたこと
田口 彼には30歳にして、日本有数の儒学者になったという基礎があります。そう難しいことではなかったと思うのですが、それにしても彼には危機意識がありました。「自分の人生なんてものは、どうでも良い。日本を救うには、そうした人間がまず出なきゃいけない」と。「君どうだ、やらないか」と言うのではありません。自分からやらなきゃいけないということです。
―― すごいですね。
田口 そう、自分からやったんです。それがすごいんです。それで、本当に日本一になりました。どうして日本一になっ...