●明治維新という転換に欠けていたもの
整理して言うと、明治維新は必ずしも、私の個人的意見ではありますが、完璧な転換ではなかったということです。どこが完璧でなかったかというと、日本人の日本人による日本的な改革でなかったというところです。それが、それから100年以上たった後で振り返ると、350万人の死者を出すというような、敗戦国家という、そういう状況に突き進むということになった淵源じゃないかと思うのです。ここは非常に慎重に考えてみる必要があるので、今回の転換に関しては、真っ先にアイデンティティを問うということをやらないと、また同じことを繰り返すんじゃないかということを私は言っているのです。ここが1つポイントです。
それからもう1つポイントがあります。明治5年からの法の転換というものですが、これにより近代法へどんどんどんどんと変えていきました。その象徴として、旧体制である江戸の風情というものがどんどんなくなっていきました。ですから、江戸の風情を懐かしむ、そういう人たちというものの反抗というものが出てくる。それを西郷南洲(西郷隆盛)は全部一緒に抱きかかえて、あの世に行きました。こういう人がいたということです。
さらにその旧体制の残滓を整理するということを、今やらなければいけないのです。それと同時に、もう1つは新しい息吹を起こさなきゃいけない。ですから、新しい殖産興業の時代が来たんだと、皆さんに思っていただいたらいいんじゃないかと、私は考えています。
●現代経営に生かしたい松尾芭蕉の創造論
そこで、このシリーズ講義ですが、大テーマは「日本的を現代経営に生かす」ということで、特に「現代」というのが「経営」の前に付いていいます。これは松尾芭蕉が、私は芭蕉が好きで芭蕉のお話を再三いろんなところでしておりますが、芭蕉というのはなぜ注目した方がいいかというと、ある種ものすごいヒットメーカーなのです。もう芭蕉の句というので駄作というのはほとんどないんじゃないかというぐらいに、彼の出した作品はほとんど大ヒット作品といえるでしょう。阿久悠氏(作詞家)なども及ばないぐらいのヒットメーカーです。
なぜ彼はそれだけのヒットを出せたのか。この芭蕉の創造論というのは、絶対知っておいたほうがいい。「造化(ぞうか)にしたがひて四時(しいじ)を友とす」というのが、これが芭蕉の根幹なん...