●息子の教育を人任せにする父を「恥」と考えたローマ人
―― 権威を身につけるための教育システムというと違和感があるかもしれませんが、前回の「父祖の威風」以外に、ローマで元老の立場の人たちが切磋琢磨するような場というものは何かあったのでしょうか。
本村 元老院貴族が「父祖の威風」を教えるということは、「子どもへの教育は自分(親)がやるもので、他の人に頼むものではない」という考えがあったからでしょう。もちろん、ある程度は人に頼むところもありますが、基本的には、男の子に対しては自分(親)、特に父親が教えるということです。
当時は学校などという制度がありません。あったとしても家庭教師のようなものでしょう。父親ができることは、それなりに自らやっただろうけれども、不得意なことは誰か他の人に任せるということになる。それでも、基本はやはり父親が息子を教育する。それをしないで全部人任せにするのは恥ずかしいことだ、というぐらいの気風があったらしいです。
だから、父祖の威風のなかには、祖先の実績を学ぶだけではなく、父親がそのように直接教育することも含まれています。水泳を教えたり、剣術を教えたり、そういうことも全部含めて、基本的には父親が教えるということなのです。
―― 父親が教えるというのは面白い点ですね。
本村 ええ。
●土地の運用を軸とした貴族の新陳代謝
―― 元老院については、前回「王侯貴族の集まり」のようだというお話がありました。そうは言いながらも、続けていくうちには当然うまくいかないところも出てくると思うのです。元老としての権威を失っていく家系もあれば、新興の貴族も現れてくる。こうした新陳代謝は、どのように進められたのでしょうか。
本村 それは、古い氏族たちのなかには、だんだん資産をなくしていくような人も出てきます。古代ローマの社会の基本は農業ですから、土地を持っていることが大きな資産になります。しかし、その土地もいろいろと運用をうまくすれば儲かるけれども、そうでない人たちであれば失っていくこともある。そういうことで、長い間には大土地所有者になっていく人たちもいれば、土地をどんどん失っていくような人たちもいるということです。
それに対して新興貴族たちは、どちらかというと商業交易で儲けるようになってきた人たちです。彼らは儲けで得た資産を、基本的に土地に投資する。そういうことが出てくると、彼らが土地を買い占めるようになってきます。
貴族といっても、ある種の資産・財産を持っていなければならないわけですから、その動きのなかで古い家系の氏族たちが没落していきます。そこへ新興貴族が入り込んでいくという形で、新陳代謝が行われていくことになりました。
―― それらは選挙などで選ばれるわけではないですから、その入れ替わりは、なんとなくと言っては語弊があるかもしれませんが歴史の流れのなかで変わっていく形になるのですか。
本村 結局、資産をなくしていく人は、前回言った、自分の権威を保っていけなくなってくるわけだから、自然にそういう場面に出てこなくなります。それは、元老院貴族としての役割を果たせなくなるからでもあるし、その立場から次第に排除されていきます。その補充として、また他の人が入ってくるという形で入れ替わっていくわけです
―― そういう元老の仕組みがあって、そこが共和政を支える形になるのですね。
本村 ええ、それが基本ですね。また、民衆のほうも、ギリシアと比べればローマの民衆は元老院貴族に対するある種の敬意のようなものを持っていたようです。だから、貴族と下層民(庶民)の争いが比較的少なかったのではないかといわれています。
●貴族と庶民がギブ・アンド・テイクの関係で結ばれた古代ローマ
―― 古代ローマをイメージするために、少し違和感があるかもしれませんが、あえて江戸時代と比較してみますと、日本の場合、必ずしも豊かではない人でもいわゆる武士階級になっています。特に下層の武士はそうでした。ただ、庶民が武士に対して敬意を払うという関係は一定程度あったと思います。日本人がローマの元老院貴族と庶民の関係をイメージするのに、武士と庶民の関係で比較してしまっていいものでしょうか。
本村 元老院貴族は非常に少なく、国家のなかに300人ほどしかいないものです。だから、一つの藩などで下級武士まで入れるとなると、そのまま比較していいかどうかと考えてしまいます。あえて比較するなら、もう少し上級の武士階級でしょう。下級の武士は農民とあまり変わらないようなところもありましたから。
ですから、武士のなかでも何十人ないし何百人を養えるような高い地位にあるような人たちと庶民の関係ということでいえば、そういった武士は庶民からすれば仰ぎ見る存在でしか...