●日本社会のなかで「発言」し続ける大切さ
―― 小宮山先生、前回の(小林会長の)お話について、いかがでございましょうか。
小宮山 ほとんど異論のないところです。特に感じるのは、小林さんが今の産業界のなかで、「辛口」も含めて常に発言を続けてこられた人だという点です。私も、大学時代から今に至るまで発言することを続けています。
いくつか、「これはちゃんと明らかにしなくてはいけない」とおっしゃいましたが、そういうことが今回は非常に多いですよね。例えば、「なぜ日本だけがPCR(検査)をこれだけの件数しか行えないのか」、また「それにもかかわらず、死亡者が少ないのはなぜか」。明らかにしなくてはならないことが、いくつもあります。さらに政策についても、場当たり的で効果としては乏しいのではないかと思って、私はそう発言しています。ここが非常に重要です。
今、小林さんがおっしゃった「実装しなくてはいけない。議論のときは終わった」ということについても、実をいうと、もう30年ほど前からいわれてきた話です。今回は本当にこれができるかどうかが問われているのだろうと思います。
今までであれば、「現在はコロナ危機で非常なピンチの状態だから、みんなが一緒にやらなければいけない」と言われた。そのようなときに何か発言すると、「みんなが協力しなくてはいけないときに、非難めいたことを言うべきではない」という人が日本では多く出てくるのです。
●「言うだけでやらない」体質が問い直されるとき
小宮山 その結果、うまくいってもいかなくても、ことが終わると今度は「もう終わったことなのだ。みんなが一生懸命やったのだし、今さらいいではないか」と言って終わってしまうのが、今までの日本の流れです。太平洋戦争もそうでした。
こういうことにならないように、本当にこの後は必要なことを明らかにして、それを社会実装していくことです。そのうちの一つがマイナンバーです。私も国の委員会に関わっていましたので多少責任がありますが、いくら言っても「言うだけでやらない」姿勢を国は続けてきたわけです。この後のポストコロナでは、本当にどこまでやれるのかが問われていくことを、小林さんのおっしゃることを聞いていて本当に同感いたしました。
―― 小林会長、いかがでございましょうか。
小林 まさに「なんとなく伝える」ことの難しさといいましょうか。企業においてデジタルトランスフォーメーションを図る場合に、外部から連れてきた専門家をトップとして任せてみても、なかなか短期間では最後のレイヤーにまで行き着かないものですが、政治の場合はなおさらで、それほど国民の思惑はさまざまにあります。
会社でさえこれだけ伝わらないのだから、国家の運営は難しいとは思うのですが、やはり政治家たるもの、信念をもって実現するところまでやってもらわないといけない。「予算を取ってきてやったから、よかっただろう」というような部分がずっと続いているのだろうかというのが、最近の感想の一つです。
●地方自治体の新しい動きと企業の構造変化
小林 そういう意味でいえば、今回のコロナ問題で非常にはっきりしたのは、必ずしも中央ではなく地方自治体の首長がけっこう緊張感をもってやったことです。それを“見つけた”のが、一つの収穫だったのではないでしょうか。
小宮山 本当にそう思いますよ。「自律分散協調系」とおっしゃったなかの「自律分散系」のほうが、いくつか出ていますよね。北海道が国に先んじたり、千葉市が一斉休校のときに少し違う行動をとったり、大阪府も存在感を見せましたし、医師会でも東京都のほうで動きが見られました。
そのように、ある部分が国に先んじたり、あるいは国とは少し違った方向であっても動き出したというのは希望だと私も思います。
小林 そうですね。非常にポジティブな面だと思います。企業もまさに「自律分散協調系」といいますか、みんながただお茶を入れてもらったりして朝から晩まで顔を合わせていたり、あるいは夜、上司が残っているときにいないと調子が悪いから残っている、というような会社の構造には、意味がなくなります。
そして、ウェブ会議の席だと、語らない人は存在理由がないわけだし、周りの空気を読んで「これは言っては悪いのかな」といったこともなくなるでしょう。これらは非常にいい方向だと思います。
●ウェブ会議が根付く可能性と会議の変化
小林 今、一番心配なのは、ワクチンなどができて危機が去り、この緊張感がほどけて安心したときのことです。先ほどの小宮山先生のお話ではないですが、また元に戻ってしまうのではないか。ウェブ会議もオンライン診療もどこに行ったのか、というような状態にならないか。言いかえると、そうならないよう、いかにテンポラリーで...