●アメリカの理解は開拓の歴史を踏まえることで深まる
本日は、「米国論再考Vol.2」というテーマで、アメリカという発明に関して説明していきたいと思います。
まずメインポイントから入ります。前回のシリーズ(Vol.1)では「The United States of America」は政体を指すのに対して、「America」という言葉は共同体を指すと指摘しました。それもまた発明なのです。1776年に誕生した米国革命政権により、広大なアメリカという土地、そしてそこに住む多民族の共同体から成るアメリカは、何度も変化を遂げてきました。
最初のアメリカは、二流、三流貴族出身の冒険家と宗教亡命者であるピューリタンを主とする英国系の移民から成立していました。ここでいう英国系移民は、雑駁にいうと負け組といえるかもしれません。この勢力が国づくりに取り組み、その後ろにはハイリスク・ハイリターンを求める欧州ユダヤ系の投機家がいました。こうした背景が、シリコンバレーの起業精神につながっています。また、アパラチア山脈は、南北の分断の原点です。特に、アメリカ中西部にあるミシシッピ川盆地が産業の拠点となります。
アメリカという概念の本格的な覚醒は、ヨーロッパで当時起こっていた7年戦争に起因する、北米で発生したフレンチ・インディアン戦争によって訪れます。この1754年から63年まで続いた帝国主義戦争を受けて、アメリカという概念が覚醒したのです。
独立戦争後は、トマス・ジェファソンとアンドリュー・ジャクソンの大戦略思考に基づいて、西へ進む方向を選びました。ルイジアナ買収を経てテキサス共和国を併合し、広大な中西部を基盤とする本格的な大陸国家となりました。こうした動きは、「西漸運動」と呼ばれます。この運動に黒人奴隷を動員し、インディアンに対しては恭順要求、従わなければジェノサイドという姿勢で立ち向かいました。また、メキシコ等の新興国がいくつかありましたが、それらには謀略と併合という組み合わせで対応しました。最後に、欧州勢力をはじめとした列強には、ディール外交で強気に攻めていきました。つまり相手の強さのレベルに応じて、アメリカはしたたかに戦略を変えていったのです。
本格的な海洋進出は19世紀末以降ですが、その方法はフロンティア開拓と同じです。アメリカの精神性は本質的には閉鎖的で、唯我独...