●「奇をもって勝つ」とはバリエーションを繰り出して勝つこと
次のところは、奇正について解説をしています。「凡そ戦は正を以て合ひ、奇を以て勝つ」というように、戦いというのはどんなものでも、スポーツにしても、実際の戦争にしても、やはり対陣して、そして戦闘となってからは、バリエーション、いろんな仕組みがあるわけです。そういう意味で、正をもって合うとなります。しかし、正をもって勝つということは滅多にありません。奇をもって勝つ、バリエーションを繰り出して勝つんだと言っているのです。
さらに「故に善く奇を出す者は、窮まり無きこと天地の如く」ですが、つまりバリエーションというものは、いろいろなものをたくさん持っていたほうがいいということです。これは野球であろうと、ラグビーであろうと、いろいろな手をしっかり持っているほうがバリエーションがありますから、敵の不意を突いたりすることもできますので、そういう意味でバリエーションがなければいけないのです。
それは「窮まり無きこと天地の如く、竭<つ>きざること江河の如し」です。要するに、最近相撲などでも、小兵の小さな体の力士が大きな体の力士に勝つことで注目されていますが、最初、立ち合う前はとんでもないところから2人が戦うわけではなく、仕切り線に沿って立ち上がるわけです。しかしそのあとは、バリエーションなくして小兵は大きな力士に勝てません。あれが非常に重要です。
そのときに、2、3度やると手が尽きてしまって、相手も必ずこう来るのではないかと思うようなところを攻めるというのでは勝てませんから、とんでもないところへ、次から次へと、「技のデパート」などといわれるくらいに、いろんな技が繰り出せないとためだというのは、これこそ戦いのセオリーなのです。これは何でもそうであり、歌謡曲の作曲家だってそうですし、いろいろな手がなければすぐ尽きてしまいます。小説家だってそうです。
この世のものというのは全て、「窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し」であって、よくまあ、どんどん新しいネタが考えられますね、というのではなくては駄目なのです。
●基本は5つでもバリエーションは無限にある
「終りて復た始まるは、日月是なり」は、もう終わりかなと思うと、またハッと始まるというくらいのしつこさが必要だということです。「死して復た生ずるは」とは、もう死んだかなと思っても、また立ち上がって不死身で戦い出すということで、それが「四時是なり」と言っています。四時とは四季のことです。これから夏になるとき、春はもう二度と来ないのかというと、また来年になると春は来ますから、そうやって繰り返し、繰り返し、しつこいくらいにいろんな技が出てこなければ駄目なのだということです。
したがって、これはどういう考え方か。「聲<こえ>」は、つまり音です。「聲は五に過ぎざるも、五聲<ごせい>の變<へん>は、勝<あ>げて聽く可からず」と言っています。昔は五音階でした。五音というのはたった5つの音しかありませんが、このメロディーなどは絶えないくらいにいろいろなメロディーが考えられています。これを五聲の變(五声の変)」といいますが、根本は5つでも、その組み合わせは無限にあるということです。
今度は色ですが、主要な色は5つしかないけれど、それも「五色の變(五色の変)」というのは、「勝<あ>げて觀る可からず」というわけです。要するに、色などももう尽きるだろうと思っても、またすごい色が出てくるわけです。色には、青、黄、赤、白、黒という五色というのが大本の五色ですが、しかしバリエーションは際限もなくいろいろな色が出てくるということです。
五味、5つの味の変というのもまったくそうで、「味は五に過ぎざるも」とありますが、味というのは5つしかありません。酸っぱい、辛い、塩辛い、甘い、苦いと、5つしかないのです。5つしかないのですが、「五味の變(五味の変)」で、五味のバリエーションというのは、「勝げて嘗む可からず」と言っているように、嘗むというのは味わうという意味なのですが、味わっても味わってもまったく際限がなく、また新しい味ができたということです。
●勢いの基本である「奇正の変」
次は「戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の變は、勝げて窮む可からず」です。戦いの勢いというものは、奇と正と、たったそれだけなのですが、奇正の変、つまりバリエーションというのは「窮む可からず」ということです。そして「奇正の相生ずること、循環の端無きが如し」と言っているように、メ...