●当たり前が変わると行動が変わり、限界が見えなくなって抜けていく
―― 自分の限界が見つけられるかどうかということですが、100回やってできなかったものが、101回目でできるようになって、そこからはうまくいきましたというケースが、スポーツでもおそらくあると思います。あるいは、伸びる可能性は多分にあって、記録が3カ月伸びなかったけれども、4カ月目から急に伸び出したり、とか。ただ、そのタイミングがいつ来るか分からない。また、例えば外国人と身長を比べて、向こうはかなり高いが自分は低いというように、「自分の器はこのくらいかな」と自分の身体性をなんとなく分かっているつもりが、意外とこの筋肉がこう動いたら変わってきたぞとか。でも、それが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれないというところですよね。
その中で、夢に向かっていく部分と、自分の限界を悟る部分は、どういうバランスでやっていくのでしょうか。
為末 本当に素晴らしいご質問だなと思います。まず1つは、チャレンジしていったときの限界の感覚がある一方で、何を当たり前として育ってきたかという意味での限界もあります。両方あるのですが、実は後者の「当たり前の力」のほうが強い。私たちが当たり前に生きている世界での最たるものの1つは、十進法だと思うのです。つまり、なぜか10とか100という数字に、私たちはクリアな線を感じて、9秒99と10秒00は全然違う気がしますよね。
―― 確かにそうですね。
為末 でも、時間的な差としては本当は11秒33と11秒34の差と一緒なはずです。陸上では有名な話なのですが、100メートルの日本記録が10秒00から9秒98に更新されるまでに約20年かかりました。日本記録が9秒98になってからは、2年間で3人が入ってきている。一度誰かが壁を超えたら、まるで壁なんてなかったかのように、みんながスルスルッと入ってきている。今、9秒98が日本記録と書いてあるので、高校生が当たり前のように「9秒台が目標です」と言う。当たり前が変わると、人の基本的な行動が変わって、気がついたら限界が見えなくなって抜けていくという力があるのです。これはすごいことで、スポーツが社会に提供している大きな力の1つだと思います。
●岩盤を突き破る寸前で諦めて、辞めてしまう人が多い
為末 まず、このことが前提としてある一方で、個人の人生のほうは、ある程度進んできたあとに、「どこまでやればいいのだろう」というものが出てきます。これははっきりいうと、経験でつかんでいくしかない。ただ、その中でいろいろなことにトライをしていくと、「このくらい力をかけたらここまでできて、そのあとこんな伸び悩みがあって、そこからさらにちょっと抜けそうだな」という、なんとなくのペース配分が分かるようになります。
私は陸上を25年やったので、1個の競技からこれをつかんだのですが、4、5年やっていくと、分かる人は分かると思います。そうすると、最初の3カ月やったときに、当たりがいいかどうかの感触がなんとなく分かるので、そのまま継続するかどうかを決めていく。
ただ、難しいのは、2回目からは分かっても1回目は何も分からないことで、だから岩盤を突き破る寸前で諦めて、辞めてしまう人もたくさんいます。「あと少しやっていれば…」の「あと少し」の岩盤が厚くて、ダメだったということがあるのです。そこは分からない。
いろいろな選手を見た感じでいえば、全体の7割、8割の人間は、最初に自分がこのくらいだと思ったものよりもよほど大きいところに自分がいるのに、その手前までが自分だと思い込んでいると思います。だから、自分で自分の限界を決めずに、周りの人が「おまえは本当はこのくらいできるんだから」と言うことにあまり抵抗しないほうがいい。「自分は自分をよく知っている」というアイデアを捨てて、周りが「おまえならやれる」というのを少し信じて乗っかってみてやるのが大事な気がします。
―― 先ほどのプレッシャーの話で出たバブルの部分の話と、練習を客観的に見ている人が「まだ、ここ、伸びるんじゃないの」と言っていることとの違いをどう設定するかは、なかなか難しいですね。
為末 その加減は難しいですね。ただ、前者のほうはどちらかというと、ある1人の人間の期待というよりも、集団の期待だと思うのです。今言っている話は、自分のことをよく知っている1人、2人の人間の意見になります。
―― コーチといった人たちですね。
為末 ええ。その人を見た瞬間に、この人間が思い込んでいる限界と、本当の限界のギャップが見えて、これを打破させようとするのが、いいコーチなのです。そういう人に当たれば一番いいのですが、それを抜きにしても、友だちでも誰でもいいから、「いや、おまえ、本当はもう少しやれるんじゃないの」と言われたことをある程度信じ...