●「自分らしさの正体は何か」を考えたほうがいい
―― よく選手に対して「わがままだ。もっと俺(コーチ)の言うことを聞きなさい」とか言われることがありますよね。一方で、「俺の道はこうだ」と自分らしさを追求することによって道が開くケースもあれば、自分らしさを追求し過ぎるがあまり、依怙地になってダメになっていくパターンもある。そうした中、より失敗しないためにはどういう心構えでやっていけばいいのでしょうか。
為末 (前回からの続きになりますが)「限界とは何か」というと、自分らしさへのこだわりだという側面もあると思うのです。それは、そう決めてこだわっている時点である種の壁ができてしまうということだと思います。一方で、自分らしさがなくなると、(自分なりの)スタイルがないために、いいパフォーマンスができないという面もあります。
では、自分が思う「これが俺のスタイル」ということと、コーチが「もう少し変わったほうがいい」とアドバイスすることと、どちらを信じたらいいのか。どちらも正しい場合があるので、これは難しい。ただ、「自分らしさの正体は何か」ということを考えるとき、もう少し“内訳”を考えたほうがいいなとは思います。
―― 正体の、ですか。
為末 ええ。例えば、物事に対してとにかくすぐ触ってみたくなるような性質とか、一見してまず最初は眺めたくなる、のような、反応に近い感覚とか、ですね。何を気持ちいいと思うか、何を心地悪いと思うかというのは、かなり自分らしさのコアの部分に近いと思います。
●自分らしさではないものは十分に変わり得る
為末 ただ一方で、練習の方法も全部しっかりスケジュール通りやらないと気が済まないというのは、案外自分らしさではなく、物事を先に見通してから始めたがっている性質が「全部きっちりやる」ということにつながっている可能性もあります。こういう選手は、なんでもかんでもきっちりやりすぎて窮屈になっていくことが多い。とはいえ、「何も考えないでやれ」と言うのではなく、「分かった。じゃあ、もうちょっと大まかにしない?」と言って、20分割くらいにしていたものを例えば3分割にして、ざっくりと3分割にした中で思いついたことをやりましょうという感じで、ちょっと緩めるとうまくいったりします。ですから、自分らしさと呼んでいるもののやり方は、本当は変わり得るものなのです。
一方で、もう少し奥のほうにある、性格のタネみたいなところは変わらないことが多い。そこはあまり変えられないのですが、それを表現する形というのは、人生で学習してきただけなので、違う環境に身を置くことで十分に変わり得る。この境目を見ていくのが大事なことだと思います。
―― こういう例を挙げていいかどうか分かりませんが、例えば、攻めるのが得意なタイプと、守るのが得意なタイプがあるとします。その人は守りのタイプなのかもしれないのだけれど、「いや、守りにもいろいろな形があるだろう」というイメージでしょうか。
為末 そうです。「守りが僕は得意だ」と言っているとして、「なんで守りが得意だと思う?」と聞くと、「いや、僕はこうで、こうで」と回答が来る。詰まるところは、「何が起きそうかを想像する力」が先に働くタイプなので、守りのほうがその力が働きやすかっただけだったりするわけです。一方で、攻めの戦略担当とかになってくると、逆に守りの発想はリスクを先に考えておくので、戦略を考える上では結構良かったりする。つまり、すぐ動くタイプではないのだけど、攻めのサポートに入ると機能したということもあり得るのです。ですから、今やっていることから「僕は守りが得意です」と言うのではなく、もう少し奥に入って、「自分の本当の性質は何ですか」というのを考えることが大事なのです。
監督によって、選手というのは本当にコロコロと変わります。でも、あとから見てみると、「あいつはやはり最初から最後まで、グラウンドの整備だけはしないと済まないやつだったな」とか、そういう細かなディテールですが、潔癖っぽいというのでしょうか、そういうことが好きなタイプとかがあったりします。それは変わらなかったりするけど、表現のやり方はずいぶん変わっていきますね。
―― なるほど。自分らしさはあるけれども…。
為末 そこまで大きくないということです。
―― もっと核の部分があって、それはどちらに跳ねるか分からないというイメージですね。
為末 かなりの幅があると私は思います。この自分らしさが、こちらの世界に行くとこちらの世界なりの適応の仕方をして、(別の)こちらの世界に行くとこちらの世界なりの適応をする。思い切り苦手な領域というのも2~3割はあると思うので、そこは絶対に行かないほうがいいのですが、それ以外の世界ではそれなりの適応の仕方をし...