●「オリンピックとはこういうもの」と思ってしまったあとで勝つのは難しい
―― これは合っているかどうか分からないのですが、開き直りができるケースは、まだ駆け出しだけれども、ただし結構実力はあって、まだ若いから次のオリンピックも行けそうで、その次のオリンピックも行けるかもしれない。だから、ここはドカンとやってしまおうというタイプの人。あとは、いろいろと実践を積んできて、「まあ、こんなものだよね」ということを含めて、自分の心の中でいろいろとコントロールできるようになったタイプの人。こうした人が開き直りの世界に行けそうな気がするのですが、そういうものですか。
為末 素晴らしいご質問ですね。オリンピックで勝つ選手を見ていると、オリンピックをよく知らない方か、オリンピックを知り尽くした方が多い。オリンピックを“ちょっと知ってしまっている”というのが一番難しい。
―― そこが一番難しいのですか。
為末 はい。最初のオリンピックと人生最後のオリンピックの2つのオリンピックで、選手はパフォーマンスが出やすい。「オリンピックというのはこういうものだ」と思ってしまったあとが一番難しいので、その意味ではおっしゃる通りだと思います。
―― 最初と最後というのは、自分で選べるものではないですよね。
為末 選べないですね。
―― 今、自分が最初と最後の真ん中にいるとすると、ジタバタするしかないのですか。
為末 自分と向き合って、知り尽くして、やるしかありません。よく分からない世界だったのが、一度知ってしまうと、元にはもう戻れない。1回でもオリンピックの怖さとかを経験してしまったら、それを味わい尽くすしかない。酸いも甘いも噛み分けるしかない、というような世界ですね。
―― オリンピックに限らず、大舞台という場を楽しめるようになるのは難しいことですよね。どうすれば、そうした境地にたどり着くことができるのでしょうか。
為末 そうですね。ただ、いろいろなことがありますが、要するに、たくさんチャレンジして、たくさん転んで回りましょうというシンプルな話でもあります。結果、人は自然に鍛えられていくものです。転び方とかいろいろなものがあって、早い段階、短い時間である程度成熟してくるということはありますが、1回、2回で成熟する人はまずいない。逆にいうと、どんな選手でも数年間はジタバタすることで、習熟して、熟達していくということです。こういうものには抜け道もありませんし、とにかくやるしかないという意味では、ある意味、諦めがつく。ただ、とにかく自分と向き合うことが大事ですね。
●世界という舞台は「どういう心境で挑めばいいか」を考え直す機会になる
為末 いざ、オリンピックに出たときに、選手が一番何を発見するかというと、「こういう場所に来ると、こんな自分が出てくるのだ」ということなのです。
国内で「俺は勝負強い」と思っているのは、実は格下とやっているからで、自分の実力と拮抗する相手や、自分よりも実力が上の人間と会うと途端に、どうしていいか分からなくなるということがあったりします。私はそのパターンでした。つまり、勝負強かったのではなく、実力差があるときに余裕をもってやっていたのを「勝負強い」と勘違いしていただけで、力が拮抗している状況では「勝負強くなんかない」ということを改めて認識させられましたね。世界という舞台では、自分より格下を相手にすることはほとんどないので、「どういう心境で挑めばいいのだろう」ということを、改めて考え直す機会になることが多いのです。
―― コントロールしようと思っても、そうではないレベルのところにぶつかって、新しい自分が発見されるのですね。
為末 そうですね。緊張するとパッと瞬間的にひるんでしまう自分が見えたりとか、何か少し考えなくてはいけない局面でワッとなって突進する自分が見えたりする。こういう性質はなかなか直らないので、どのようにコーチを受ければ、本番で力が出せるようになるのだろうと、自分と向き合いながら、また4年間かけて練り上げていくというのが、選手たちがやることですね。
●最初のある1点だけにフォーカスして、あとは自動化するという方法
―― 少し抽象的な話なのですが、ある歌手の方がステージ上では、半歩後ろに自分自身がいて歌っている自分を客観的に見ているようなイメージを持つと、意外と声とか歌のコントロールができるという話をしていて、なるほどと思ったことがあります。4年に一度しか経験できないオリンピックのような場所や、勝負強くない自分が急に見えてしまうような場所に立ったときは、自分自身をどう捉えているものなのですか。
為末 何というのでしょうか。例えば、ここで今、こうやってお話をしていて、自然に話していますけど、急に左側の壁が...