●すべての家が天皇に、日本の古代にまで結び付いていた
―― 冒頭の武士道の話であったように、武士道で大切なのが「家」ということですね。
執行 家が根本です。家制度がなければ、武士道はできません。家制度と結びついているから武士道で、家制度と結びつかないと、どうしても「人殺しの思想」など悪いイメージのほうに行ってしまいます。そうではなく、武士道は日本の大家族主義をどうやって守るかから生まれてきた思想なのです。
武士階級がそれを独占したようにとられていますが、そうではありません。日本人の中枢の考え方です。「何かのために戦って死ぬ」という考え方です。だから「戦いの思想」とも、また違うのです。
―― ただ、特に今の人に「家が大事」と言ったときに、なかなかイメージが湧かないように思います。これをどう伝えたらよろしいですか。
執行 これは難しい(笑)。日本の歴史や日本の優れた人、それと結びつくしかないでしょう。もう「家」といっても、今はほとんどないので。私が言ってる家は「ホーム」「家庭」ではなく、「大家族主義」ですから。
―― 歴史を通して脈々と……。
執行 大家族主義と言って、今で言えば仕事の集団みたいなもので、それが血縁で来ているものです。どちらかというと、小さい企業のあり方のほうが、昔の大家族主義に近いです。みんなで何かを一緒にやる。それがたまたま昔は、今と社会が違うので、その家に生まれてきた子供たちが継いでいくという、そういう考え方です。
―― 昔であれば、農家であれば農業。先祖代々の田畑があって。
執行 それをどうやって、みんなで一緒に効率的にやっていくか。武士の家は武士道。だから今の小さい企業体のあり方のほうが近いです。今は家族的にはなくなってしまった。かえって家庭が、みんなで協同してやる企業体を崩す力になっている。逆に「家庭か、企業か」のように迫られる。家庭が物の道理を教え込む場所ではなくなり、甘やかすだけの場所になっています。
―― 昔は当然、いろいろな人間関係のなかで、田畑を維持するにあたっても、水利権など……。
執行 もちろんそこに戦いがありました。
―― 地主さんであれば、小作人とどのように付き合うか。小作人であれば、どうやって地主とやっていくか。自ずとそういう関係性の中で動いてきたものがあったわけですね。それが今のような社会になって……。
執行 わかりにくくなった。ただやっぱり大家族主義は、一つの宗教ですから。これは文献にも残っていますし、ものの本にもあります。少し前、明治までの日本人は、みんなそういう信条で生きていたのです。だからその頃までに書いた人たちの本を読むと、わかります。
日本人が大切にしてきたものは、その頃までの人の文献を読み、理解して、自分の魂もそこに連ねるしかない。もう基本的には、親からは学べません。仕方ない話で、社会が変わり過ぎたから。
―― はい。
執行 そして大家族主義の頂点にいるのが日本の場合、天皇家です。でも何度も言うように天皇のあり方も、「みんなの親」「大家族主義の頂点」としてのあり方ではなくなっています。だから天皇制も理解できないでしょう。天皇制がなぜ重要かというと、大家族主義の宗家だからです。
―― 日本では本当にそうですね。
執行 歴史がそうだから。
―― 昔、「天皇の赤子(せきし)」という言葉がありました。
執行 みんなそうです。
―― 国民はある意味では、そういうものだという教えもありました。
執行 そういうものなのです。最後は天皇に結び付く。天皇に結び付くことによって、日本の古代、神代や神と結び付いていくのです。それが大家族主義です。
そのことが自分の家庭からわかるようになってたのです。どんな家柄でも、その家の宗家がいて、その宗家にはまたすごい宗家がいる。そのまた上もいて……となって、最後は天皇まで行く。例えば本家とか、子供の頃から肌で理解するように組まれていた。それが今はないのです。
―― そうなると武士道的な生き方も、ある意味では柱や核が、ちょっと見えなくなってしまっている……。
執行 でも魂だけは残っています。魂は書物で学べますから。武士道を実践していた人を本の中から見つけ出す。たとえば近藤勇。近いところでは乃木希典。ああいう武士道を実践した人たちの人生を学ぶことによって、自分がやっていくしかない。私もそうしてきたわけです。
●「ドイツ人はすごく反省している」の大誤解
―― これはなぜ戦後、崩れてしまったのでしょう。
執行 日本の屋台骨を崩すのが、米軍の占領政策でしたから。進駐軍、マッカーサー司令部に与えられた命令は、日本の根幹文化、天皇を中心とした忠義と親孝行――これが日本の根幹文化ですが――それを名指しではっきりとぶち壊すように、と...