●「自由な発想」を掴み取る、最高の方法
―― ちょっと話を変えて、「武士としてどう戦いに勝つか」という話をお聞かせください。「武士は犬死にしてもいい」というのが、『葉隠』の一つの思想ですね。
執行 そういう考え方ですね。
―― ただし一面で、武士は戦いを生業にしていた人たちでもあり、当然、勝ち負けがある。では実際どうやって勝っていくのか。まず武士にとって「本当の勝ち」とは、何なのでしょう。
執行 「本当の勝ち」は、武士道の貫徹です。武士道という一つの強大な文化があったわけですが、この文化を貫徹することが、武士に与えられた一番の成功。ついでに「勝ったほうがいい」ということです。だから、勝ち負けは「ついで」と思ったほうがいい。
ただ歴史を見ると、「ついで」だからこそ自由な発想が湧くこともあります。
―― それはどういうことですか。面白いですね。
執行 「勝ち」がメインになると、真面目になったり、緊張してしまう。そうではなく、真田幸村にしても楠木正成にしても、色々な武士が好きに生きられたのは、自分は武士道の貫徹だけを考えていたからです。だから戦いは自由になる。かえって戦いのときは、ものすごく発想が自由になるのです。
―― 「負けたらどうしよう」ということではなく。
執行 負けても勝ってもいい、どっちだっていいのですから。江戸末期だと近藤勇と土方歳三、戦国時代だと真田幸村、南北朝時代だと楠木正成、この人たちを研究すると、今、私が言っていることがわかりやすい。要するに武士道さえ貫徹すればいいのですから、あとの政治情勢や社会情勢は、自由に都合よくとれるのです。それが武士道だということです。
―― なるほど。
執行 「勝つためのもの」というのは間違いで、もちろんありますが、勝ちは二の次です。
私のことで言うと、私も武士道の貫徹がすべてです。死ぬまで『葉隠』を貫徹できるかだけが、私の生命に与えられた宇宙的使命だと言っているのです。私は今70歳まで来ていますが、まだ貫徹できるかどうかは死ぬまでわかりません。たとえ最後の日でも、卑しいことを考えたら崩れてしまう。最後の日まで貫徹しなければと考え、毎日やっているのです。
これまで本もたくさん読んできたし、事業もある程度うまくいきました。これは「ついで」です。「ついで」の良さを、自分のこととしてお話しすると、読書も事業も、まったく大したものだと思っていません。自分が優れている人間だとも思ってない。これが私が武士道をやってきてよかったことです。だって、問題にしていないのですから。
だから一番嫌なのが、「人生で成功している部類の人間」と多くの人から言われてしまうことです。あれが一番嫌だし、恥ずかしい。そんなこと、まったく思っていないので。私は一人の日本男児だとしか思っていません。どうやって常朝の『葉隠』の思想を死ぬまで貫徹できるかどうかだけが私の無限の挑戦で、貫徹できたら自分の人生を成功だとも思える。ほかは全部ついでです。ここに飾られている花もついでです。たまたまくれる人がいたから、飾っただけです。
―― 本丸がどこで、何を自分がこだわるべきか。その結果は、ついでのもの。結果を追わないということですよね。
執行 だから出版社とかテレビ局なら、人の役に立つ、本当にいい本や番組を作れば、儲かるし、いいし、売れるに決まっているのです。ダメだったなら、内容がダメなのです。
●大英帝国が世界を制覇したのは「死んでも約束を守った」から
―― その点でいくと、たとえば武士たちの生き方で言うと、事前にどうやって敵の情報を探るかというのもありますし、一面、計略みたいなこともあります。
執行 当然です。
―― そういう世界でも、これは菅野覚明先生なども書いていることですが、一度「あいつは嘘をついた」と言われると、二度と信じてもらえなくなるので、だからこそ武士は、嘘をついてはいけないという感覚になる。
では、どういうことかというと、「嘘をつく」のと「言わない」のは別だと。言わなくて相手が悟れなかったのなら、相手の力が弱かった。こちらは真っ当な生き方を貫いているだけだと考える。武士とは、そういうものだと。
執行 それが武士道です。
―― そういう信頼の積み重ねが、ある意味では「この人は裏切ることはない」「嘘をつくことはない」という評価になる。逆に一度裏切ったら、勝っても二度と信用されない。そのような厳しい世界だったというお話でした。
これは普通の生き方の中では、どう解釈すればいいでしょう。たとえば事業をするときに、どう情報を取るかなどですが……。
執行 お客さんに対して、また関係者に対して、絶対に約束は守る。嘘はつかない。そういうことを経営で大事にしていれば、絶対に信用は高まっ...