●昔は「人に好かれるために行動する」のは卑しい人間とされた
執行 だから私は、自分で言うのもなんですが、武士道から始まって、精神的な苦悩は、子供の頃から大変なものです。毎日、毎日、苦悩の連続で、それで身体を壊して死にそうになったことも何度もあります。武士道の遂行や愛の実行といったものは、苦悩なのです。
しかし、現世の問題で悩んだことなどありません。悩みがないわけではなく、精神論で悩んできた。私は読書が好きだったから、悩み方としては正しかったと思います。昔の偉大な人たちはみんな、悩みとは精神のことでした。
たとえば国のことは悩みになります。「憂国」というように、国を憂える。あれは悩みです。このままで、この日本はいいのか。このままでは、この国はいけない。明治の志士がそうでした。あれも悩みです。
だから今の人の悩みとは違うのです。先程の「人から好かれている、好かれていない」というのは悩みではありません。
―― それは、私事(わたくしごと)になるわけですね。
執行 私事です。好かれたいのなら、好かれるように振る舞えばいい。そうすれば好かれます。そして好かれたいのは、本人が卑しいだけです。
―― それは貪っているということですね。
執行 そうです。それがわかれば、いいのです。わかっていれば、好かれてもいい。でも人に好かれるために自分が行動をとるのは、卑しい人間だということです。だから人に好かれる行動をとるのが職業の人は、昔は軽蔑されました。今はそのようなことはありませんが、昔なら芸能人とか、要するに他人の評判、好かれてナンボという仕事です。
人に好かれる行為は、卑しい。でも今の人はそう思っていない。だから困るのです。
―― 当然ながら、自分の道を貫けば、それを好いてくれる人もいれば、憎む人も出るかもしれない。
執行 当然そうで、これはわかりません。
―― そのときに好かれることを目的とせず、自分の魂をどう燃焼させるかが大事だから、ということですね。
執行 そうです。
―― それをどう貫くか。貫いたときに相手がどう思ってくれるかは……。
執行 それこそ運命で、関係ない。これはぶち当たっていくしかありません。ちなみに、私の人生でいえば、ほとんどの人に嫌われてきました。会った人の99%にはものすごく嫌われてきた。かつ、その中の3分の1には、すごく蔑まれました。人生で会った人の3分の1は、ものすごい蔑みです。そのくらい信念というのは、違えば抵触するということです。
たとえば現代的な価値観を持ってる人で、私の近しい人でも、私をすごく軽蔑している人はたくさんいます。私は愛国心にしても、私の信じることにしても、こうして喋っています。しかし、社会的な成功者であるその人から言わせれば、「人に嫌われる可能性があることなどを言うやつはバカだ」となる。だから、私はバカだということです。しかし私は、その人のことを憎んだりしません。それは当たり前のことで、そんなことはわかっていますから。
―― そういう人たちからすると、「あえてそんなこと言わなくてもいいじゃない」ということになるわけですか。
執行 そうなのでしょうね。それから自分が損したり、嫌われることを言うのはバカだという考え方なのです。その理論から言うと、執行草舟は手の付けられないバカです。そして、それは事実なのです。だから私は憎んでもいなければ、その人を嫌いでもない。当たり前のことだから。
―― 「それが自分がやっていることなんだ」と。
執行 そう。嫌われようが何しようが、「信念を語る」という生き方をしているだけです。それが立派かどうかは知りません。私はそういう人生しか送れないだけです。これは仕方がないのです。
●「お金があるから、読書家だから」と言う人は全部ダメ
―― 今のお話からもう一つ出てきそうな疑問が、「執行先生は自分を貫けるからいいけれど、私は貫けません」というものです。「それだけの自信がないです」とか。
執行 だから、もうそこに出ています。「自信を持とう」とするからダメなのです。好かれたいとか、自信を持ちたいとか、成功したいと思うから、できないのです。私は、そう思っていないですから。今は人からわりと「成功した」と言われますが、こんなものは結果論ですから。
―― ここはすごく面白いところだと思うのですが、もう一つ、こういう人も絶対に出てくると思います。「執行先生が自信を持って言えるのは、これだけたくさんの本を読んできているからです。いろんなものが入っているから、自信を持って『こうだ』と言えるんですよね」と。
執行 それは、よく言われます。
―― ただ、今までの(テンミニッツTVでの)講義でもおっしゃっていましたが、執行先生からすると、まだまだ読み足りない...