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パワハラされても、いじめられても「すべて自己責任」

「葉隠武士道」を生きる(3)運命に立ち向かうのが人生

執行草舟
実業家/著述家/歌人
情報・テキスト
現代社会の多くの人が抱える悩みが「人間関係」である。「パワハラ」や「いじめ」はその典型的な事例だろう。だが、正しい生き方は「自分に与えられた運命」から逃げず、立ち向かうことである。パワハラされたとき、いじめられたときに正しく対処できないのは、「人に認められたい」「評価されたい」という心があるからではないか。その根底にあるのは「自分の損得」だ。そういう卑しい心から出ていることを、自分が悟るしかない。「自分がダメだ」「自分が馬鹿だ」と思えば、つまらぬ恨みも残らない。「いじめられたのも、全部自分が悪い」。そう思うことが人間の向上を生むのだ。(全12話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:12:55
収録日:2021/04/08
追加日:2021/07/23
カテゴリー:
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≪全文≫

●「パワハラされた」の裏にある「評価されたい卑しい心」


―― では次に、実際どうすべきかという話をお聞きします。先ほど自分の「運命にぶつかる」という話がありました。その一方で「すべてのことが自己責任」という話もありました。

執行 何事も全部(自己責任)です。

―― そうなると、現代社会で多くの人が持つ悩みの1つに、人間関係があります。たとえば最近よくあるのがパワハラです。

執行 あんなのは最悪です。

―― その場にいる人の悩みとして考えたとき、たまたま、ある会社に入ったとします。そこで活躍しようと思っていたのに、非常にパワハラ的な会社で、ガンガンやられた。「おまえ、あそこに行って売ってこい!」などと言われている。言われた人からすると、それに従う自分が「本当の自分」なのだろうか。何か「やらされている」ような気もする。「その行動にも、自分は責任を取らなければならないのか」ということにもなってくるように思います。

執行 その考えそのものが「逃げの考え」で、今の考え方です。その会社に入ったのも自分だし、そんなことを思う自分そのものが、もうダメなわけです。たとえ誰かの命令であれ何であれ、どんなひどい親のもとに生まれようが、与えられた運命全部が、その人の運命です。そして、その運命に立ち向かうのが人生です。

 パワハラなどというのは、もう最低の考え方です。これは誰が考えてもわかる問題ですが、もっとわからない問題でも、深いところを言えば、みんなそうです。要は「自分ができない」だけの話です。

―― そういうときは、どうすればいいでしょう。

執行 私が今、しゃべっていることを理解する方向に行く以外ありません。どこまで逃げても、逃げられることはないですから。

―― たとえば、その会社を辞めるということですか?

執行 辞めてもダメです。どこに行こうが、人から何か言われて、「嫌だ」と思うこと自体がダメです。その根源にあるのは、山本常朝の『葉隠』にも書かれていることですが、要するに「自分の損得」です。

―― なるほど。

執行 武士道のように、生命の本質や愛の本質を考えればわかることです。たとえば、「人間とは何か」「一人ひとりの人間が生まれ、自分の生命を全うするとはどういうことか」などということに直面すれば全部わかるのに、そうなっていない。

 私が知っている範囲で、人間関係に弱い人に一番多いのが、「人に認められたい」というものです。「評価されたい」。つまり「褒められたい」。褒められないと、それを「パワハラ」「いじめられた」と取る。

 そういう人は反対に「自分は褒められたい」「認められたい」という思いがある。悪い言葉で言うと「得をしたい」ということです。そういう卑しい心から出ていることを、自分が悟るしかない。

―― たとえば「自分は非常に理不尽なところにいる」と思っていることの裏返しで、「自分が理不尽なことを考えている」と思ったほうがいい。

執行 そうです。理不尽なところに縁があったということは、自分が理不尽な人間だからということです。

―― 自分が引き寄せているところもある。

執行 もちろんです。入った会社が悪かったとしたら、悪い会社に入る自分がいたからです。世の中に起こることは全部、自分の責任です。運が悪かったのなら、運が悪くなるように自分がしたのです。これは間違いありません。

―― 自分の選択も含めて、覚悟というか、それも含めて全部、自己責任。

執行 そうです、昔の人の言葉で言えば。この会社に命を捧げようと思って入った。入ってみてダメだったとしたら、自分が判断を誤ったのだから諦めろということです。諦めるということも人生、重要です。

 結婚と一緒です。結婚して、しばらくして女房に欠点があったから離婚するなんて、単なるわがままです。自分がこの人と生涯を共にしようと決意をして、結婚したのですから。

 昔の人の言葉で言えば、夫婦喧嘩はいいけれど、死ぬまで添い遂げて、同じ墓に入る。私の母までが言っていたのは、仲がいいとか気が合うとか、そんなことは関係ないというものです。「男なんて顔がついてりゃいい」と言っていました。あとは「金を持ってくりゃいい」と。「喧嘩しようが何しようがいい。いがみあってもいい」とも言ってました。昔の人はみんなそうです。死ぬまで一緒で、同じ墓に入れば立派な夫婦なのです。結果論です。

 あとのことは親子のことも兄弟のことも、何もわかりません。でも結婚は基本的に本人の責任だから、諦めるのが一番いいのです。


●「自分が馬鹿だ」と思えば恨みも残らない


―― では会社を辞める、辞めないで考えると、どういう辞め方であれば前向きでしょう。

執行 自分が辞めたいから辞めるというより、辞めるような状況になったなら、そ...
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