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江戸時代の粋が生んだ「川柳」を詠んで俳諧の歴史を楽しむ

江戸とローマ~諷刺詩と川柳・狂歌(2)江戸っ子と川柳

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
川柳や落語では「江戸っ子の粋」が強調されるが、ローマにはそれに匹敵する「ローマっ子」がいたのだろうか。どちらの都市も外部から多様な人が流入したが、「それ以外の人間」により純粋な都会人の定義が行われたのは江戸だけだった。今回は、そんな江戸の粋が生んだ川柳の事例をひも解いていく。(全4話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:14:39
収録日:2021/06/16
追加日:2022/03/21
カテゴリー:
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≪全文≫

●「江戸っ子」に匹敵する「ローマっ子」はいたのか


―― 日本の場合、川柳や狂歌、また歌舞伎においても江戸っ子的な「粋」といわれるように、どちらかというとエスプリが利いたイメージがあると思います。ローマの風刺詩のイメージは、どういう精神に裏付けられているといえるのでしょうか。

本村 「江戸っ子」に類するような言葉がローマの場合にあるかというと、「ローマっ子」のようなものがあったわけではありません。一方、「江戸っ子」の定義については西山松之助(日本史学者)さんなどが述べています。

 それによると、当時は参勤交代でいろいろな国から多数の武士武家がやって来て、それぞれに屋敷をつくっていました。そういう人たちや彼らに付随して来る人たちなど、「江戸以外の人間」がたくさん集まってくることになったわけです。

 そうなると、逆にどこに「江戸的な人間」の特徴があるのかが気になるところです。そこで、日本橋や神田などで生まれ育ったということから、非常に粋な精神を持っているというところまでクローズアップされていきます。田舎から来た侍、いわゆる田舎侍の集団との対比によって「江戸っ子的な精神」が形成されてきたのではないか。西山松之助さんの著書を読んで、非常に納得したところです。

 それと同じようなことがローマではあったのかといわれると、参勤交代はなかったけれども、外からたくさんの人が集まってきていた点は共通します。ただ、本当に純粋なローマとはどういうものかというような精神が出てくるのは、もっと後の時代になります。キリスト教が出てきて、古典古代的な文化が失われていく時代になってからのことです。


●長い平和に育まれた川柳と諷刺詩


本村 当時のローマはむしろ多様なものを属州から取り込んでいくところがあり、「ローマっ子」のような概念は出てこなかった気がします。その点、江戸と大きな違いがあるというか、むしろ江戸のほうが非常に特殊だったといえそうです。

―― 類型ができた、ということですね。

本村 参勤交代があったために、世界史的に非常に特殊な都市だったということだと思いますね。

―― 全国から強制的に人を集めてくるような仕組みですからね。

本村 そうですね。それをさておいたとしても、江戸時代の二百数十年間、特に江戸の地域においては、徳川幕府の下で平和な時代が続きました。私は、江戸とローマを比較するには、江戸初期よりやはり後期のほうだろうと思っています。後期になると、いろいろな江戸的なもの、日本の国風的なものが出来上がってくるからです。

 一般論的にいうと、ローマは前近代社会の中でトップかどうかは別にしても、トップレベルの文化や教養を築いていたのは確かです。そのようなローマに匹敵するのはやはり江戸だということになって、今回は川柳と諷刺詩というものを、その一つの例として挙げているわけです。

――今、江戸でも後期とおっしゃいましたが、狂歌や川柳の世界、特に狂歌では最も有名な大田南畝(蜀山人)が出てくるのが、天明頃の時代になります。これはだいたい1800年前後ぐらいの感じですね。

本村 うん、そうですね。


●「前句付」から始まった江戸の川柳


――先生のおっしゃる通り、(川柳の隆盛は江戸)後期という位置づけになるのだろうと思います。ローマの場合、風刺詩が盛んになってくるのは帝政期ということですね。そうした背景を踏まえて、それぞれが具体的にはどんな内容だったのかということをお聞きしてまいりたいと思います。まず、どちらからご紹介いただきましょうか。

本村 日本の川柳の例からいきましょう。

本村 (川柳は)俳諧の「前句付」というものが、そもそもの発端になっています。いわばお題を出して、それにふさわしいような、あるいはみんながクスッと笑うような句を前に付けていくわけです。例えば一つ、有名な例では「切り斬りたくもあり斬りたくもなし」という後ろの句。これをまず出して、その前にどんな句を付ければ楽しめるかというお題です。

―― これをみんなで楽しみ合うのですね。

本村 ええ、そうです。ここで、例えば「盗人を捕へてみればわが子なり」というのを付けると、後の「斬りたくもあり斬りたくもなし」という部分が生きてくるので、それを楽しむ。そうした中、前半を楽しむことが自立して、諧謔や皮肉のこもった一つの句ができていったのではないかと思います。そうなると、季語も何もありません。いわば思いつきで楽しんだり、笑ったりするようなことができればいいわけです。

 そんな例をいくつかご紹介すると、例えば自分の女房が乳飲み子を置いて亡くなったときに詠んだのでしょうか。

「南無女房ちちをのませに化けて来ひ」

 「化けて出てきてもいいから、とにかく乳を飲ませてくれ」という男の切...
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