●「楽」が好きな人は、必ずズルをするが……
執行 今の人はみんな量を追求して滅びていく。やはり教養がないのだと思います。私流に言えば、文学がない。文学を失ったからです。文学とは、人間が自分の魂と対話するものです。自分の魂と対話する気がない人は、文学は必要ないですから。だから今、文学がなくなったのです。
私が若い頃までは、青春といえば、もうみんな文学です。なぜ文学を読んだか。みんな覚えていると思いますが、やはり青春の悩みです。苦悩です。青春の苦悩が始まることによって、同じ青春の苦悩を味わった人たちが書いた本に、必ず行くのです。そこでまた共感して、共鳴した本が、まず愛読書です。
だからだいたい、恋愛です。当たり前ですが、みんな青春時代は恋愛もしますから。必ず恋愛文学の愛読書がみんなあるのです。私も忘れ得ない愛読書がある。でも本当の恋愛をしていなければ、恋愛文学は必要ないから、共感するわけがない。
今の人は、だいたい昔の恋愛文学について、「恋愛の文学だ」とわからない人がほとんどです。私がみんなに薦めているゲーテの 『若きウェルテルの悩み』とか、アンドレ・ジイドの『狭き門』『田園交響楽』とか、中河与一の『天の夕顔』とかは本当の純愛の話です。こういうものは何が書いてあるのか、全然わからない人がほとんどです。『若きウェルテルの悩み』をある人に薦めたら、「えーと社長さん、これ何が書いてある本なんでしょうか」と言われました、本当に。そのぐらい、わからなくなっている。
―― 少し戻ってうかがいたいのですが、先ほど理想を追求できる人と、ズルいほうに行ってしまう人がいるというお話がありました。これはかなり大きな問題だと思います。何がそう分けてしまうのか。ここはどうでしょう。
田村 現象だけ見ると、「ズルい人」は不幸なんです。結局、ズルをやろうとすると、しょっちゅう不安になります。たとえば権力者に媚びるとしても、その権力者が心変わりするかもしれない。失脚するかもしれない。常に怯え続けることになる。だからそのようなものではなく、理念だとか、そっちへ向かっているほうがはるかに幸せなのですが……。
―― しかし、そちらを選ぶ人が、多いとは言わないまでも、かなりいます。
田村 特にサラリーマンは上になればなるほど、そうなっていきます。残りの会社人生と年収を考えると、そっち...