●日本人は「尊いもの」があるからこそ自信がなかった
執行 でも人生というのは、やっぱり「道」の追求です。特に日本は。だから「自信」は日本人にはダメなものなのです、本当は。
田村 そうですね。
執行 だから日本人は、永遠に自信を持たないことが、素晴らしい活動のできる根源だった。昔の家制度もそうです。家制度は、長男を中心にしてヒエラルキーを決められています。
多くの人が証言していますが、戦前まではどんなに優秀でも、最高学府を出ようが大学教授になろうがノーベル賞をとろうが、田舎に帰ったら関係ありません。田舎には必ず本家である長男の家があって、長男は大体、土地の学校を出て小学校の先生をしたりしている。どんなに偉い人でも、本家の長男には頭を下げなければならない。そういう文化なのです。
それが、日本人の「力が出せる」という背景にある。いい意味で「量」や「自信」を目指さない。ある種、天皇制のスモール版です。日本は天皇制があったから、独裁者などおかしな人間は出なかった。どんな権力者でも、もっと尊い方が上にいるからです。これは重大なことなのです。
日本は少なくとも天皇制だけは維持してきたので、今でもそういう文化が残っていて、独裁者のような人が出ないのです。大家族もそうです。
田村 そうですね。だから自分を「相対化」できるのでしょうね。「自分が絶対なのではない」と。そことの関係性だから。
執行 今流に言えば、みんな自信がないのです。
田村 「謙虚になれ」と言われたのは、そういうことなんでしょうね。「自信」と「謙虚さ」はちょっと正反対な感じがしますからね。
―― 今のお話でいうと、日本人は常に自信がないというのが……。
執行 ないほうが国家として……。
田村 健全なんです。
執行 健全だったということです。
―― 天皇のあり方もそうですし、例えば「志を立てる」とか「道を究める」というのもそうですけれども、常に「高い理想」を持っているからこそ、自信もないし……。
執行 そういうことです。家もそうです。今の「マイホーム」ではなく「大家族」だから、どんなに偉くなっても、本家には頭を下げなければならない。本家の長男には、みんなが挨拶にも行かなければならない。現にそうだったと、みんな言っています。例えばGAFAになろうがノーベル賞とろうが、あくまでそうだった。そうい...