●財産を使うのも「教養」である
執行 ただ、先ほどから私が話しているのは、現代人が「量」に侵されていることをわからなければダメということです。あれは20世紀を通った人がかかった病気です。「量」も重要ですが、いいものは限度があります。重要なのは限度をわきまえた売り方です。それがないのが今で、今の成功者はGAFAまで行ってしまうのです。
それは魂的には何の価値もない。そう言っては、失礼ですが。だって、GAFA(のアマゾン創業者ジェフ・ベゾス)なんて、あれだけ金儲けして、宇宙旅行(ビジネス)なんかして。私から見れば、「何なの、あんた?」という感じです。何十億円もかかる。そんなくだらない、子どもの遊園地のお遊びみたいなものに、例えば40億円とか50億円投じる。あの神経を問いたいです。
別にひがんでいるのではなく、私が言いたいのは明治の成功者との違いです。明治の成功者は、自分の財産ができたとしても、例えば美術事業とか国家の歴史に貢献するものに投じていました。でも自分の宇宙旅行なんて、要するに、金の使い道がないということです。いくら稼いでも金の使い道のない人が今、金を稼いでいるのです。そのくらい社会の根底が間違っているということです。
だから松下幸之助や出光佐三までが限度なのです。稼いだ人イコール魂や心も、ある程度揃っている。人間としても立派になって、立派になった人がお金持ちになったから、それなりの貢献が社会にできる。あの人たちまではそうです。現に、やはり成功者は立派な人しかいない。立派な人しか成功できない社会だった。逆に言えば、健全だったのです。
田村 そうですね。
執行 今みたいに「量」で侵されてしまった社会は、経営者にとっても、けっこう大変です。私も経営者ですが、どのあたりまでの発展だと“量のお化け”に食われるのか、そのへんを見極めなければならない。私はもう38年経営していますが、「これ以上行ったら社会に食われてしまう。でもこれ以下になると、いい研究をしていく資金が稼げない」といったせめぎ合いです。ずっとこれで38年やってきたのです。
でも私は、それが「教養」だと思います。この読書を見ればわかるように、私はけっこう教養がありますから。やはり読書は教養の根源であり、過去の共感する人の知恵です。知恵をもらっているので、ずっとその問答をすることができるのです。
田村 そのときの判断力が大事なのです。これは理念や戦略とは違う話です。
執行 いや、でも理念もないと判断できません。
田村 ああ、それは、そうですよね。
執行 私が判断するのは、関係のない人にはオーバーに聞こえると思いますが、やはり理想や理念などへの「憧れ」です。憧れがないと、今の判断を下すことができません。
田村 でも憧れがあっても、判断を間違えるときがありますから。
執行 そこはわかりませんが、憧れがない場合は、絶対に「今の文明」のほうへ行きます。
田村 それはそうですね。ほかにないですから。
執行 だから、必ず「売れるほう」へ。
田村 そうそう(笑)。
執行 それしかないんだから。
田村 利益しかないですものね。
執行 これは絶対なる。
田村 絶対……、それはそうですよね。
執行 それでまたドボンになってしまうのです。
田村 だから、環境や社会はどんどん変わっていくわけですから、「利益をどうやって上げていこうか」と考えるのは難しいですよね。
執行 利益については、根本的には、もう答えは出ているのです。自分の会社がある程度発展して、自分たちが普通にちゃんと生活できたら、それでいいのです。「あぶく銭は要らない」ということです。あぶく銭を稼ごうと思うからダメなんです。
あぶく銭といっても今の人はわからないでしょうが、要は宇宙旅行に行く金です。くだらない、子どものお遊びです。孫の誕生日に三輪車買ってやりましたが、それとは桁が違う。何十億円です。私は聞いた瞬間に、金の使い道がないんだとわかりました。
私に言わせれば、悪いけれども、今の日本国の現状とか将来の日本に対して、自分の財産を投じる教養がないと思うのです。
田村 そうですね。
―― 財産を使うのも教養ですよね。
執行 当然です。その意味では、もう私なんか大自慢です。そんなに大した金ではありませんが、やはりある程度入ったものは、将来の日本のために全部投じています。本当にやっているので私は言えるんです。
●松下電器の製品には「人間の心」が入っていた
―― 話を少し戻したいと思います。先ほどの田村先生の話からすると、質を追求するというときに、要するに「いいものを作れば世間が認めてくれる、だから売れるはずだ」という発想があると思います。これは松下さんもある程度そうだったと思いますが...