●アメリカ人の成功者が「寄付」をするのは別に偉くない
執行 ただ一つ言えるのは、西田幾多郎の本と田邊元の本をこれから一念発起して誰かがこの番組を見て、読んだとします。読んだら全員、あまりの自分の頭の悪さに打ちひしがれるでしょうね。それが真実です。私もそうですが、あまりの能力の差に。
能力の差といっても、大学受験の能力といったものとは違います。西田幾多郎と田邊元の能力は、「苦悩し続ける能力」です。だから旧制高校や大学から始まって哲学の研究に入り、死ぬまで自分が考えた哲学課題に食らいついて、苦しみ続けるというか……。
田村 理想を追求するということなんでしょうね。
執行 そうです。それが「理想」なのです。だから「自信」とは反対なんです。
田村 企業においては「企業理念」を「理想」と置き替えて、そこに向かう集団を作ればいい。要するに、組織というのは「心の集合体」ですから、心を燃やせばいい。そのためには、やはり理想に向かわせないと燃えない。
理想を追求するためには、組織ですから「理想が実現された状態」を具体的に定義して、あとはもう戦略を自分たちで考えて実行していく。これを組織の仕組みに落としていかないと、理想は追求できません。「そういう気持ちでやろう」という精神論で終わってしまう。
そうではなく、「自分たちの使命は理念を実現することなんだ」と変えなければいけない。それは、やってみるとそれほど難しくないのですが、やはり最初の一歩を踏み出せるかどうかです。
やったら集団がそうなると、行動によって人の意識は変わってきます。善なるものがいっそう出てきて、業績が上がっていく。企業人は、自分のためではなく、誰かのためにやって業績が上がるのが一番嬉しいわけですから。
執行 人間は全部そうです。
田村 特に日本人はそうです。日本人の強みはそこなのに、それを自ら否定して、英米のシステムやルールにしてしまった。
執行 先ほど少し触れましたが、英米は生活がまったく別なんです。昔は神がいて、ゴッドのいる信仰の生活があったのです。そしてビジネスという社会が別途にあった。ビジネスは「金儲け」と割り切っているのです。
だから「アメリカ人はよく寄付をして偉い」と言いますが、偉くも何ともありません。金儲けの世界に現役時代はいて、引退したらキリスト教の世界に戻る。それで慈善としてやっているだけです。
日本人はそういう習慣がないから、寄付なんてするはずがない。もともと日本の商道そのものが武士道から生まれたもので、「近所や人々のために」という発想があります。
日本では蕎麦屋1軒にしても、本当に「近所の人に喜んでほしい」「おいしい蕎麦を作ろう」と思っています。だから蕎麦屋を引退してから、慈善事業をする必要がまったくないわけです。自分がどこかの町で蕎麦屋をやって、本当においしい蕎麦さえ作っていれば、それで喜びを持ってくれる人が周りに大勢いる。これが日本の「商道」です。それを学問化したのが石門心学です。
田村 心を込めて一つ一つを丁寧にやる。それが「道」なんです。
執行 日本が変になったのは、アメリカンビジネスを入れたからです。アメリカンビジネスも本当は悪くなかったのです、キリスト教があったときは。(キリスト教とビジネスとを)分けているだけだから。
田村 キリスト教があったから、ビジネスもよかった。キリスト教がなくなったから、ビジネスも……。
執行 アメリカ自体が落っこちた。
田村 そうなんです。
執行 アメリカも今崩れていますが、アメリカンビジネスを取り入れた国は、もっと崩れてしまった。日本は特にやられたわけです。日本は商売の理念そのものが、ある種の「世のため人のため」です。もともと蕎麦屋1軒だって、そうやっているわけだから。
田村 そうなんですよね。
●「質の追求」と「利益」の塩梅(あんばい)がわかるのが「教養」
田村 だから明治の最初の頃の本を読むと、日本の伝統的な、あるいは江戸期の「世のため人のために尽くす」といったものを感じます。そこへ今度、近代ヨーロッパ文明が来たわけです。これがうまく接ぎ木のように……。
執行 だから19世紀は、うまくリンクした。
田村 日本にも武士道的なものがあったから。
執行 日本もまだ先祖とか、そういうものがみんなありました。
田村 まだ武士道的なものがあって、その上に技術が来たから、つなげられた。だから、うまくいったんです。
執行 日本も今、なくなってきました。
田村 その土台がなくなったから、つなぎようもなくなって、もうこの状態ということです。
執行 だから「理想」にしても、今の人はすぐ「精神論になってしまう」と言いますね。でも人生は精神論なのです。精神論がなければ...