●「自分が理想として共感する人」を心の中に持つ
―― 「自信」と「自己信頼」という言葉が出ました。自信があると、かえって間違いのもとになると、いまのお話で非常によく分かってきました。
反面、今名前が出た松下さんも出光さんも「自分」というものが明確にあった気がします。惑わされない。いろんなものを素直に聞くけれど、それでブレることはない。必ず自分があって、その自分というものに立脚して進んできた部分があると思います。そこがもしかすると自己信頼になるのかもしれません。では自分をなくしてしまう人と自分を持ち続けられる人は、どう違ってくるのでしょう。
執行 それは「共感」です。松下幸之助や出光佐三みたいな人は、自分が理想として共感する人を心の中に持っているのです。実際の知り合いなのか歴史上の本の上の知り合いなのかは分かりませんが、その共感を実行するための自己信頼なのです。
先ほど少し言いましたが「自己信頼」は、哲学的にはエマーソンが 最初に言った言葉です。エマーソンは19世紀のアメリカの哲学者で、厳格なプロテスタントのキリスト教徒として有名です。彼が人生論の中で「自己信頼」という言葉を使ったのです。これは何かというと、すぐわかると思いますが、「神への信頼」です。神への信頼があるからこその自己信頼です。
ところがわれわれ日本人は「絶対神=GOD」を持っていません。われわれにとって絶対神に代わるものは何かというと「魂のつながり」です。先祖であり、尊敬する過去の人であり、魂が共感する人々です。そのような人とのつながりにおいて、自己信頼できるかです。
出光佐三と松下幸之助は、強烈なそれを持っている人です。僕は会ったことがありませんが、本を読んでも分かるし、顔を見ても分かります。多分それは実際の知り合い(理解してくれる人)ではない。だから家族とか周りにいる人は、誰も理解していない。理解しないというのは、魂の問題だからです。でもそれが自己信頼になっているのです。
―― そこはどうですか。
田村 現役のとき、いろんな社員がいて、すごく頑張ってすごい成果を収めている人間もいました。僕は直接聞くんです。「おまえ、なんでそんなすごいの?」と。やはり最初に尊敬する上司や先輩に巡り合って、その先輩から評価されたという人がほとんどです。自分もそうでした。最後に立ち上がる勇気は、そこから出てくるのです。
執行 それしかないんです。その先輩にも、また先輩がいるのです。そして先祖がいる。これは最終的に、神に行きます。そういうものが、人間のいわゆる伝統です。特に日本民族はゴッドがないので大家族制というか、親や先祖、それから職場の先輩、尊敬する本。僕は読書家なので、やはり本が出ます。本のうえで知っている偉大な魂を持った過去の日本人の生き方といったものに共感して、その共感のうえに自己信頼ができる。
僕はそういうものはすごく持っているほうですが、これは何の自信にもなりません。今流の自信とは違うのです。逆に、田村さんもそうだと思いますが、(共感する人を心の中に)持てば持つほど、自分が大した人間じゃないと思うようになります。比べている人間がそうですから。
僕は最近はけっこう「大したものだ」と言われます。でも全然思ったことがありません。それは僕が知っている人が、すごい人ばかりだから。いつまで経っても中途半端です。僕は知識もすごくあると言われるほうですが、僕が尊敬する人は知識のお化けみたいな人ですから、自分なんか足元にも及ばない。だから、やはり今流の自信はない。でも多分、今言った「自己信頼」はあると思います。それが他人からは「自信」に見えるのだと思います。
田村 多分そうでしょうね。企業においては、「ゴッド」にあたるものが「企業理念」なのです。
執行 そうだと思います。
田村 存在理由、何のために存在するのか。大部分の会社はそうした企業理念を持っています。なくても「創業者の精神」といったものがある。
執行 でも、みんな信じてないでしょう。
田村 そう、信じてない。
執行 理念というのは、信じるところが出発です。
田村 そうです。だからそこで必要なのが、一人の勇気なのです。
執行 ああ、そうですね。
●「理念を実現することが仕事」だと考えよ
田村 とくに今の企業は、利益を追求する構造になっています。利益を追求するために、それぞれのポジションを作り、それぞれに目標を与え、きちんとやらせる。これが建前というか、現実に運用されていることです。
一方で、「理念」もあるのです。今、「企業理念」がおっしゃるように無視されているのは、単なる精神論に留まってしまっているからです。「そういう『つもり』でやりなさい」とか「お客様に喜んでもらうために...