●読書をするのは「自分が足りない」と思うから
田村 失敗も成功も、全部自分のものとして受け入れて、それで成長していくわけです。
執行 だから「成功」はないんです。私も成功はありません。今71歳ですが、71歳まで成功したことは一つもない。多分あったら、本ももうその日から読まないと思います。自分が大したものだったなら、人の書いた本なんて読む必要ないですから。
私はそういう人に、ごまんと会ってきました。「本は読まない人」です。私は読者家で、読書だけを価値観にして来ました。それは「自分が足りない」と思うからです。何か優れた人の意見を知りたい、優れた人の魂に触れたいという思いがあるからです。
でも読書しないタイプの人は、やはり自信があります。読書をしないというだけで、その人は自信を持っています。自分の能力や魂や心に対して。そういう人は、変な「自分らしさ」などと言っています。「自分らしさ」というものに自信を持っているのです。
そんなものがあったら、今テーマになっている仕事観からすると、とんでもない話です。実際には本も読めない。本1冊読むにしても「自分はダメな人間だ」「これから人間として、もっともっと成長しなきゃいけないんだ」という思いがないと本も読めない。
田村 今振り返って自分が幸運だったのは、最初に入社したときに上司から「同じ失敗を何度もするな」と言われたことです。それで24、5歳のときからノートにつけていったのです。今日起きたこと、そして失敗したことと成功したことを。しばらくして分かるということがあるのですが、私は7勝3敗ぐらいだったのです。
これは一見、勝ち越しですが、企業においてそれだけ失敗したら、もう全然ダメです。許されません、3つも失敗していたら。それで、そのときに自分自身を定義したのです。「自分は失敗をする人間だ」と。
そこから先は、「自分は失敗をする人間なのだから」と考えて、失敗するであろうことを事前に全部洗い出し、それを一つひとつ潰していく作業をやっていました。これが今から振り返ると、やはりよかったです。
執行 それは謙虚さがあるからできたのです。
田村 いえ、やはりまずいのです。10回やって3つも失敗したら企業としては許されないと思ったのです。
執行 そこは分かりませんが、10のうち7つ成功したら大変なことです。
田村 でも、そんなに難しい仕事じゃなかった(笑)。採用試験でも「なんでこんな人間を採用したのか」とあとで分かったりしたこともありました。
執行 大企業の物の見方は、現代思想の影響を受けていると思います。大企業の社員指導には、「成功もさせてあげないと社員が腐ってしまう」といった配慮を感じます。
昔の実業家などの成功者の本を読むと、「何一つできない自分」というものに毎日対面させられています。昔の社会の上層は、そうです。若造になんか一切何もやらせない。何も言わせない。松下幸之助の若い頃もそうです。
だから当然、自分というものは「何もできない人間」だとして打ち込まれています。松下幸之助と出光佐三は、 戦前から戦争を挟んで戦後まで生きた実業家として代表者であり、双璧ですが、2人とも今流の「自信」はありません。「自信がない」から何でもできるのです。
田村 そうですよね。
●「すべてをありのままに受け入れる」から可能性を追求できる
執行 どうして松下幸之助は、あんなにアイデアが浮かぶのか。出光佐三は「セブンシスターズ」といわれた世界を支配していたスタンダード(・オイル・オブ・ニュージャージー)」などのオイルメジャーと渡り合って、民族資本の石油会社をずっと続けられたのか。あれは自信どころか、何もないからなのです。自分が無であり、ダメである。だからダメで元々というと言葉が悪いのですが、自分の全身全霊をもって体当たりして結果は問わない。そんな生き方を、私は出光佐三に感じます。
松下幸之助にも感じますが、松下幸之助の場合、産業が電機産業という科学的な産業だったので、もっと表現がうまい。でも私が松下幸之助の書いた本を読んだところでは、松下幸之助は「自分は全く能力がない」と思っています。重大なことは、「能力がない」と思っているから「何にでも挑戦できる」ということです。「能力がある」と思ったら、そこで終わりです。
田村 だから頂点に向かえたのではないでしょうか。
執行 そうです。ただ頂点というのは結果論です。
田村 理念です。「日本の社会に尽くす」という。ここで自信があったら頂点には向かえません。せいぜい「対前年比105%ぐらいで行こう」となります。「日本社会をよくする」というのは、いわば「不可能性に挑戦する」ということです。そこへ向かえたのは、幸之助さんの言う「素直な心」です。
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