●「大和魂とは何か」が問われているのが『源氏物語』
田村 ただそれは、向かうための一人の勇気があれば、考えればいいのです。「自分たちの会社は、本当に存在する必要があるのかどうか」を考えて、「ある」と思えば、その戦略を自分で考えて行動していく。やることはそんなに変わるわけではないのですが、頭のルートを一つ、社会だとか、そちらのほうへ作るだけです。お金がかかるわけでもありません。やってみてすぐに答えが出なくても、体を動かしながら考えていると「こういうふうに考えると理念に到達できる」となってくるのです。
そして行動していると、やはり面白くなってくる。「自分の利益」のためではなく、「お客さまのため」とか「社会のため」にやっていると、反応があります。「よくやってくれた」と。それに奮い立つ。そしてもっと頑張ると、また奮う。
いわば「感謝の人間関係」みたいなものが随所に出てくると、そこで面白くなってくるのです。そして無我夢中になってきて、仏教でいう「無」に近いものにみんながなってくる。それが人間の生き方だと思います。「理想に向かえ」というとなかなか難しいですが、企業においては企業理念が理想だから、それに向かうチームを作れば、人間性はよくなるし、業績もよくなるのです。ここでの障害は、やっぱり「1人の勇気」なのです。その勇気をいかに持たせるか。100人いたら1人や2人は、いそうなのですが。
執行 勇気は一番難しいんです。ほとんどが才能というか血というか、今の民主主義の平等社会から一番抵触している問題です。魂から生まれるものですから。知識ではない。勇気の問題になると、話がだんだん別になってしまう。
勇気の問題を理解するとしたら、ある意味では、民主主義や平等思想といったものを全部、一回捨てなければダメです。そしてどこに戻るかというと、私が歴史的に研究したところによると勇気の場合、魂の根源が日本の文学上で表されているのは『源氏物語』です。
『源氏物語』は「恋愛のもの」といわれていますが、全然違います。それは表面的な物語で、実際に問われているのは「魂の問題」です。それも大国主命から連綿と続いた日本の大和魂です。「大和魂とは何か」が問われているのが『源氏物語』なのです。
「大和魂」という言葉の初出、日本歴史上で初めて出てくるのが『源氏物語』です。源氏が、夕霧という自分の息子に教育論として述べている箇所に出てきます。「少女(おとめ)」の巻だったと思いますが、「才(ざえ)」つまり能力の話が出てきます。能力のようなものは勉強すればできる。どうしてもできないのは「心の問題」と「魂の問題」だと。
何が重要かと言えば、『源氏物語』全体を通じて、どんなに情けない人間でも、いざというときに人から見て「ものすごく立派な人に見える」ようなのが大和魂だというのです。だから、大和魂の根本にいるような人が、女たらしだったり、大酒飲みの飲んだくれだったり、いろいろな貴族が出てくるわけです。
ところが、そういう人たちが大和魂を持っているということに、物語のなかではなっています。持っていない人は勉強ばかりして頭がいいけれど、いざといったときに悪いほうや、ずるいほうに行く。
ところが、あの当時の考え方だと、血統がいい人は、いざというとき日本でいえば「国体」つまり日本国や天皇のために、ビシッと立ち上がることができる。これを「大和魂」と言った。そして大和魂は「才(ざえ)」つまり「能力」と対立した概念とされているところを、光源氏がしゃべっているのです。それが勇気の根源なんだと。だから難しいのです。
ただ『源氏物語』の中にも出てきますが、勇気というのは、よく見える人は「ない」というのが前提になっています。いざというときのものだからです。「血」というか、当時の文章だと「家柄」です。
●自問自答は一生続く
田村 ただ部下をずっと見ていると、勇気がない人間でも勇気を持てるようになってきます。覚悟とか。これはやはり「大義」です。会社の大義は「理念」ですから、そこへ向かっていると、多くの人との関係性が大きく変わってくるのです。
そういう人間も、変わってくるというのは、人間には(いい)遺伝子がありますから、自分が動くことによって周囲との関係性が変わり、そこからまた行動する。そうしたプロセスを通じて変わっていくのも事実です。どうしようもない人間が勇気を持ちだしたり、覚悟を持って動きだす。だから人間は変わるものであって……。
執行 変わるのではなく、成長するのです。
田村 ああ、なるほど、成長。あるいは、いい遺伝子がスイッチオンしたのかもしれません。
執行 そうかもしれません。
田村 それは行動によって明らかに生じるのです。
執行 だから行為の教...