●「あはれ」の深さを分ける「欲」と「情」
―― 続きまして、先生に書いていただきましたのが、『排蘆小船(あしわけのおぶね)』のものと、『石上私淑言』ということでございますが、『排蘆小船』というのはどういうものなのですか。
板東 これは本居宣長がいちばん最初に書いた本といわれていまして、これは歌論です。『石上私淑言』と内容的にけっこうかぶるので、『排蘆小船』が宣長の最初の歌論の試作であって、5、6年した後できちっと書き直したのが『石上私淑言』です。
―― なるほど。
では、早速読んでみたいと思います。まず『排蘆小船』のほうでございます。
「欲と情とのわかちは、欲はただねがひもとむる心のみにて、感慨なし。情はものに感じて慨嘆するもの也」。続けて『石上私淑言』も読んでしまいますと、「いかにもあれ歌は情の方より出来る物也。これ情の方の思ひは物にも感じやすく、あはれなる事こよなう深き故なり。欲の方の思ひは一すぢにねがひもとむる心のみにて、さのみ身にしむばかりこまやかにはあらねばにや、はかなき花鳥の色音にも涙のこぼるるばかりは深からず」というところでございますね。
板東 ありがとうございます。これは宣長の「もののあはれ」の原理的な探求の中で、たしかにどんなものに触れた感動も「もののあはれ」というのだけれども、その中に深いものと浅いものがある。その中で歌とか、物語として表現されるタイプの「あはれ」と、そうではなく、浅くてあまり美しくない「あはれ」というものがあるという形で、「あはれ」を二分していく議論です。
それを宣長は「欲」と「情」という2つに区分しています。『石上私淑言』のほうの引用にありますが、歌とか物語というのは欲ではなくて情のほうの表現であるとしています。
具体的にどういうことかというと、次のイラストをご覧ください。
―― ここも先生がイラストでご紹介いただいております。
板東 ありがとうございます。宣長が「欲」といいますのは、一筋に願い求めるようなタイプのものです。つまり、例えば食べ物とか、人間が欲しがるお金、富、財宝といったものをわれわれが見たときに、われわれはそれを欲しいと思うわけですね。所有したい、自分のものにしたいと思う。まっすぐそれを欲しいと思う。それもたしかに感動の一部ではあるのだけれ...