●自信は「主観的な思想」なのか? 「客観的な思想」なのか?
―― 皆さま、こんにちは。本日は執行先生、田村先生に「自信について」というテーマでお話をいただきたいと思います。両先生、どうぞよろしくお願いいたします。
執行 はい、よろしく。
田村 よろしくお願いします。
―― 今回のテーマは「自信について」ですが、田村先生、最近の日本では、なんとなく自信がなくなっているというか、自信に満ち溢れている人をそれほど見かけない気がします。ここについては、いかがでしょう。
田村 海外の調査と比較しますと、とくに日本の若い人で「自分の仕事に自信がない」という人が異常に多いです。私が会社に入ったのは50年近く前ですが、当時は先輩と部下との関係が非常に濃密でした。ほったらかしにされず、常に先輩が面倒を見る。そういう時代に私は若いとき、いました。
すると現場で困難に直面しても、どうにかこうにか乗り越えていく経験をみんな持つのです。その中から自信というものが出てくるのですが、日本で成果主義が導入されてから先輩がそれどころでなくなり、いわば放置される状態が続いています。そこから仕事を通じて自信を得るプロセスが、非常に持ちづらくなっているのです。
それから、もう一つアメリカのギャラップの調査で、社員のやる気度、熱意ある社員が何%いるかを調べたものがあります。日本は139カ国中132位で、熱意ある社員の比率は6%でした。これは4年前の調査で、大体似たような調査をやっていますが……。
執行 今年も同じでしょう、大体。
田村 そうですよね。ということは仕事に燃えていないのです。つまり難苦を乗り越えて頑張ると、また新しい地平が見えて、新しい課題が出てくる。それを、また乗り越える。そんな経験が持てないから、結果として自信がないのだと思います。
―― そういう全体状況についてはいかがですか。
執行 非常に納得できる意見ですが、私は「逆作用」が起きているように思います。戦後の日本は「自信を持たなければいけない」という教育をしています。その反作用で、逆に(自信を)みんな失ってしまった気がします。
私の根本理論でいうと、自信とは持ってはダメなのです。これが日本の伝統的な考えです。「自信を持ったら、ただのバカ」というか……。これは「主観」と「客観」の問題です。哲学では「主観的な思想」なのか、「客観的な思想」なのかという二つの大きな問題があります。自信とは「客観の思想」なのです。
仕事をバリバリやっている人間や、何か成果のあがった人、芸術家でも実業家でも成功した人などを横から見て「あの人は自信に満ちている」という概念なのです。だから本人が言うことではない。
それなのに自信のある生き方をさせようとして、「自信を持て」「持て」「持て」「持て」と言っているのが現代社会です。私は『生くる』(講談社)という最初に出した人生論で、これを「自信教」と書きました。現代は「自信教」にまみれていると思います。それによって逆に(自信を)失っているのです。
今、田村さんが言ったように、昔の日本は大家族制度で、「会社も全部家族」のような感じでした。そうすると、田村さんもたぶん若い頃はそうだと思いますが、今(の視点)から考えているので「自信を持った、持たない」となるのですが、多分知らないうちに、先輩から鍛えられながらがむしゃらにやっていたら、ある程度できるようになったということでしょう。
田村 そういうことなんです。先輩にしても、部下に自信を持たせようと思ってやっていたわけではない。
執行 「早くやれ!」「うるせえな、おまえ!」「何やってんだよ、バカ!」という感じです。
田村 よくやったら「おまえ、よくやった!」と。
執行 そういうことです。これが思想的に言うと「客観」です。やっている本人は自信なんて関係ない。だから「自信」について考えるとき、一番難しいのはこの問題なのです。このことを分かったうえで自信について喋らないと、おかしくなるということです。
田村 そうですね。私は最後の最後まで、今だって自信がないわけですから。
執行 そういうことです。私もないです。
田村 次から次へ新しい課題が出てきて、それを乗り越えてやっているという1日です。自信なんて持ちようがない。だって、またやらなくちゃいけない高い壁が来るわけですから。
執行 自信がないから、やるわけです。
田村 そうです。
●「悪い自信」を持った大軍は、自信のない少ない軍勢に負ける
執行 だから現代人は「自信」の問題を取り上げる人がすごく多いですが、ものすごく難しい問題なのです。取り上げれば取り上げるほど、ダメになるのです。
私が若い頃までは、覚えていると思うけれど、ちょっとでも自分の意...