●ウクライナ問題の裏に流れる歴史と地政学
――皆さま、こんにちは。本日は小原雅博先生に「ウクライナ侵略で一変した国際政治」というテーマで講義をいただきたいと思っております。小原先生、どうぞよろしくお願いいたします。
小原 よろしくお願いします。
―― そもそも今般のロシアによるウクライナ侵略によって、何が一変したのかということを最初にお聞きしたいと思います。一体この前と後では何がどう変わったのでしょうか。
小原 今回の事態は急に起こったことではなく、戦争自体も、英語では「フローズン・コンフリクト(Frozen conflict:凍結された紛争)」と呼ばれているものです。こういった事実上の戦争状態が、実は2014年からウクライナでは起きていました。
それが、今回全面的な侵攻になったということです。ウクライナの問題を考えるときに大事なのは、そうした歴史的な流れとともに地政学ということも考えないといけないと思います。地政学の中で最も大事なのは、NATOの東方拡大という問題です。これはプーチンから始まったのではなく、ゴルバチョフの時代から続いてきました。
冷戦が終わりソ連が崩壊する過程で、ドイツの統一も起こりましたが、その時に「ワルシャワ条約機構」が解体され、消滅します。もともと東西の両陣営というのは、二つの同盟ブロックの対立で、東側の陣営は「ワルシャワ条約機構」、もう一つが「NATO(北大西洋条約機構)」という西側の軍事ブロックです。これらが対立し、ヨーロッパではチャーチルが「鉄のカーテン」と名付けた存在が東西を分断して対決していたのですが、その片方が倒れてしまったわけです。
●冷戦後の安全保障の形
小原 その結果、その後の安全保障の秩序をどうつくり直していくかということが非常に大きなテーマになったわけです。そこで、NATOがロシアとの関係をどうしていくのかについては、多分二つの道があったと思います。一つはNATOが拡大して、その中にロシアも入るというかたち。もう一つは、全く新しい安全保障体制の秩序(アーキテクチャー)をつくり出すことです。つまり、新しい欧州にふさわしい新しい秩序をつくろうという、もう一つの流れや意見があったわけです。
―― これは先生、エリツィン政権の時には今先生がおっしゃったNATOの中にロシアも入るなど、全く新しい秩序をつくるという動きが実際に進んでいたということでしょうか。
小原 はい、ありました。これは、どちらがいいということではなく、その両方を並行するかたちで議論があったわけです。ロシア側から見て望ましいのはNATOの拡大ではなく、新しい安全保障体制をつくることでした。ロシアはそこに加盟しますが、それ以外の国と対等ではありません。ロシアは軍事的にも、核を持つような大国ですから、特別の対応をしていただかないと困る、と言っていました。そうしたものをつくることについては、エリツィンも非常に積極的でした。
―― それはプーチンもそうだったのですか。
小原 プーチンが(エリツィンから政権を)引き継いだのは2000年でしたが、正式に大統領になる前に欧州メディアからインタビューを受けました。その中で「プーチンさん、NATOに入る気はありますか」というような質問に対して、「イエス」と答えているわけです。
それがどこまで本音だったかは別にして、もはや冷戦の時代は終わり、二つの軍事ブロックが対立して戦争が起こるかもしれないような時代ではない。だから、新しい欧州の安全保障システムをつくっていくのが望ましい。NATOはもう古い体制であり、その対立軸となったワルシャワ条約機構はなくなっている。だから、新しいものをつくろうというのは、非常にすんなり通る論理です。
●冷戦終結が生んだ安全保障の空白地帯という問題
小原 ただ、ここには問題がありました。「CSCE/OSCE(欧州安全保障協力会議/機構)」と呼ばれている枠組みが、実は冷戦時代から存在していることです。ここにロシア(当時のソ連)も入っていますが、自分たちの安全保障すなわち同盟をどう決めるかについては、それぞれの国が決定できるということを書いたのです。これは「ヘルシンキ議定書」というもので、通常戦力の削減のような形で、信頼を醸成していこうとする枠組みでした。
それにより、お互いに包括的な安全保障をやっていこう。単なる通常戦力の問題だけではなく、安全保障をもっと広く捉え、互いの信頼醸成を積み上げていこう。このようにしてトータルで大きな安全保障の秩序をつくっていこうとする流れがありましたが、それは同盟ではありません。
それによって起こってくるのが、旧東欧諸国との問題です。ソ連が崩壊した時に引き継いだのはロシアでしたが、それ以外のソ連邦の部分は多くの共和国から成り立っていて、それらが独立して...