●イヌの社会性とサル類の社会性の違い
最終回では、私がこの頃思っていることをお話ししたいと思います。私も夫も、まず自分がサルであることに加えて、心理学でもサルの研究をするので、社会性については「サルの社会性」を当然のように研究してきて、これが社会性というものだと思っていたのです。ところが、3匹のイヌたちと暮らした結果、イヌの社会性というものはサルの社会性とずいぶん違うことが分かってきました。
もちろんイヌは食肉目の肉食動物であり、サルは霊長目なので、系統的にずいぶん違いがあります。イヌの社会性とサルの社会性の違いで、一つ強く感じるのは、同じご飯を一緒に食べることができるかどうかです。
サルは、できません。サルは、今の言葉でいえば「個食」であって、自分一人で食べます。一緒に並んで食べてもいいのだけれども。お鉢は自分のお鉢です。サルがそうであるように、人間もそうで、一緒に食べるパーティもするけれども、お皿は自分のお皿、お鉢は自分のお鉢です。
ところが、イヌは同じお鉢に頭を突っ込んで、3匹でも4匹でも食べられるわけです。ここが、かなり違っている。そうすると、社会的順位などもありはするけれども、社会的順位が高いからといって独り占めすることはしない。社会的順位の高い者と低い者がいて、低いほうが食べているときも、自分の番がくるまで待っていたり、下の子が食べるのを許してあげたりする。
サルには、それはできません。「自分のお鉢」ということになるからかもしれませんが、上が絶対にそれを取ります。また、下の者がそれを取ろうとすると、絶対に怒ります。なので、下のほうが食べている間待っていてあげるようなこともしない。社会的順位がかなり厳しくて、上が全部取る。イヌはそうではないというのは、とても面白いと思います。
●多胎と単胎ということ
それがなぜなのかということで、私なりに着目したのは、イヌが「多胎」である点です。4匹とか10匹とか、同時にたくさん生まれます。ところが、サルは「単胎」であり、人間もそうですが、1回のお産で1匹しか産まれません。
そして、サル類というのは、チンパンジーもニホンザルもおっぱいが二つしかなくて、それを交互に一匹の子供が飲む。だから、やはりおっぱいからして一匹が1個で、自分のものなのです。イヌのほうは10匹も産まれたりするので、みんなで並んでおっぱいを飲む。そうやって育つことで、感覚的なものが少し違うのかと思います。
サルは、チンパンジーも、右の写真にあるようなマダガスカルのキツネザルというサルでも、みんな木に登って果物を食べたりする。そのときに、一緒に並んでいることはありますが、同じ果物を一緒には食べないです。必ず自分が受け取ったものを自分で食べる。一緒に並んで同時に食べることはあるけれど、同じものを一緒に食べるわけではない。
ところが、イヌというのはそうではない。(野生の状態では)シカなどを殺して、その場でみんなで一緒にかじったりする。だから、一緒に並んで食べているだけではなく、同じ塊を一緒に食べるわけです。だから、順位が高くても低くても、同じ塊を一緒に食べることができる。
おっぱいもやはり、お母さんのおっぱいは8つぐらいある。10匹も産まれるとやはり競争になりますが、そのときも、前の子が飲み終わるまでちょっと待っていてあげるようなことをするのです。
ですから、生まれるときに単胎か多胎かということ、また果物と葉っぱのようなものを自分で取って食べるのと、シカの死体のような大きな塊をみんなで食べるのかという違いが、今日の社会性のあり方の違いにかなり影響しているのではないかと、私は今考えているところです。
●イヌとヒトと社会
最後になりますが、イヌとヒトというのは、家畜化を通じて非常にいい社会関係を持つようになったわけです。ヒトとイヌがいい関係を持つだけでなく、「ヒトとイヌ」がいて、また(別の)「ヒトとイヌ」がいると、イヌ同士も関係するし、ヒト同士も関係するようになります。
だから、キクマルが来てから、うちはずいぶん渋谷の富ヶ谷のご近所と付き合いが進むようになりました。同じイヌ友達として、イヌを飼っている人たち同士が集まって、イヌの名前で呼び合うのです。たとえばうちはキクマルの親なので、「キクパパとキクママ」と呼ばれていて、本名など誰も知らなかったりします。
でも、みんなで一緒にお祭りなどに参加したりしていて、職場の関係でもなく、実の子供の学校の関係でもないのに、友達としてお互いにいろいろ困ったときに助け合ったりする。イ...