●それまでの文明は集約され、ローマに通じる
―― 今回の講義のサブタイトルは「権威に通じる道」ということですが、「権威に通じる道」には、こころとしてはどういう意味を持たせていらっしゃるのでしょうか。
本村 やはりそれは、権威といえばローマであるわけですから。あるいは江戸の場合もそうで、一つの国家なり帝国の中心として、そこに人々が集まってきて、そこでいろいろな価値観を身につけ、それがまた広がっていく。
特にローマの場合は「すべての道はローマに通ず」というように、それまでの単なる道ではない。人類の文明史が始まってからローマ帝国ができるまでには、3000年ぐらいの文明の歴史があります。
その時代には、地球規模かどうかということまでは分かりませんが、少なくとも地中海にいたローマ人からすれば、見渡す限りの世界の文明というものが、結局ローマの中に集まってきた。そういう意味で、やはり「すべての道はローマに通ず」というのは、それまでに人類が培ってきた文明というものが、結局ローマの中に集約されている(ということです)。
例えばポンペイ(遺跡)などには、それなりに立派な貴族たちの家が残されています。「メナンドロスの家」などは、今行っても非常に洗練されていて、「こんな立派なところに住んでいたのか」と驚く。それでもポンペイの中ですから、いわば地方貴族です。
しかし、一緒に石碑を巡ったギリシャ史の専門家からいわせれば、「こんな建物は、ギリシャ人の目から見れば王侯貴族だな」と。ポンペイの小さな町の地方都市の富豪、あるいは貴族たちが住んだ家が、それまでのギリシャ人の目から見れば、いかに王侯貴族の生活だったか、ということです。
そういう言葉にも表れているように、ローマの中にはそれまでの3000年の文明や知識が全部集約されて、単に軍事的・政治的な権力だけではない一つの「権威」になっているということになります。
●皇帝を名乗らなかったアウグストゥスの「権威」
本村 皇帝アウグストゥスが言った言葉にも、それが現れています。彼は、自分が王様である、皇帝であるなどと言ったことは一切なく、「自分は確かにローマの第一人者である。第一人者とはどういう意味かというと、ローマ市民の名簿の筆頭に来る人間である。だから、特別な地位にあるのではない」と。
王様を指すのは“rex”という言葉ですし、皇帝であれば“imperator”という言葉になる。彼が自分からそういうふうに名乗ったことはないわけです。
碑文の上では、周りの人たちがそのようにつけていきますが、“rex”という言葉は決して使いませんでした。それは、昔からラテン語の中に「王」という言葉としてありますし、“imperator”は「最高指揮権保持者」という意味で、それが後に「皇帝」という意味を持ってくる。アウグストゥスがこの称号を使ったから、それが「皇帝」という意味になっただけであって、最初から「皇帝」という意味を持っていたのではないのです。
カエサルにしてもそうで、ドイツ語では“Kaiser”を「皇帝」という意味で使いますが、あれもユリウス・カエサルの「カエサル」から来ています。彼は養子で、そう名乗っていましたが、その単語がどんどん近代に入って、ドイツ語の中では“Kaiser”として、ロシア語の中では“czar”という形で残っていったということです。
そもそも、“rex"というのはもとから「王」という意味があったので、アウグストゥスはそれを絶対に使わない。“imperator”や“caesar”という言葉は、後々に「皇帝」という意味を持ってくるのであり、建前上彼はそれを使わないようにしていました。
そんな時、アウグストゥスは『業績録』の最後のところで、「私は他の人間から、特に権力において卓越しているわけでは別にない。ただ、“auctoritas”(権威)においては、自分は確かに他の人に優っているかもしれない」と、「権威」を強調しています。“potestas”という権力は他の人と全然変わらない。しかし、“auctoritas”(権威)においては、自分は他の人に優っているということです。
●権力と権威を分けた日本の方法
本村 このように非常に権威を強調するところが、ローマ皇帝のローマ皇帝たるゆえんです。それはいろいろな意味、すなわち軍事力も政治力も経済力も含めて、ローマの中にはそれまでの3000年の文明が全部集約されている。その中の、いわばトップの人間として権威を持っていたいということが、特に道路の建設では非常にビジュアルな形で見ることができるのではないかと思います。
日本においても、明治憲法下の天皇は形の上では一つの最高権力保持者になっています。しかし、特に昭和天皇などに強かったのが、自分は立憲君主制の君主であって、法的な制約を受けているという意識です。
おそらくそれは明治天皇も...