●『ハムレット』解釈におけるイギリス・ロマン主義:ハムレットとは私たち
こんにちは。河合祥一郎です。最終回の第6回は、シェイクスピアが与えた現代への影響についてお話ししましょう。
皆さん、マーガレット・アトウッドはご存じですよね。『侍女の物語』を書いたベストセラー作家です。そうした世界的なベストセラー作家にシェイクスピアを語り直してもらおうという企画が現在進行中です。
英語では“Hogarth Shakespeare Series”なのですが、日本語では「語り直しシェイクスピアシリーズ」と呼ばれています。第一弾のマーガレット・アトウッドはシェイクスピアの『テンペスト』をとりあげて、“Hag-Seed”という作品を書きあげ、これを私の友人でもある鴻巣友季子さんが『獄中シェイクスピア劇団』(集英社)としてお訳しになりました。
第二弾はエドワード・セント・オービンが『リア王』をメディア王に置きかえて書き換えた『ダンバー』(集英社)という作品です。こちらは私が解説を書かせていただきました。第三弾として、アン・タイラーが『じゃじゃ馬馴らし』を題材に『ヴィネガー・ガール』を執筆しています。
今紹介したのは一例で、多くの現代作家がシェイクスピアを意識しながら創作をつづけてきたといえるでしょう。ドイツ・ロマン主義を代表する文豪ゲーテは、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の中で、「この世の蝶番が外れてしまった。なんという因果だ、この俺がそれを正すべく生れてきたとは!」(一幕五場196-197行)という台詞こそが作品全篇の鍵であると論じ、ハムレットは「可憐な花を植えるために作られた高価な鉢に樫の木を植えるようなものだ。樫は根を張り、鉢は壊れる」という有名な比喩を用いました。
つまり、ハムレットは、復讐というとても果せない大仕事を課せられてしまった繊細な青年なのであり、「英雄を作る心の強さを持たない、美しく、清らかで、高貴な、きわめて道徳的な人が、担うことも、捨て去ることもできない重荷のために亡びてゆくのだ」と描写したのです。
このイメージは強烈でした。しかし、A・W・フォン・シュレーゲルなどは、『劇芸術ならびに文学』の中で、ハムレットには決心したことを実行に移せない意志の弱さがあると指摘してゲーテ説を修正しました。ハムレットは、復讐という大きな宿命...