●『リア王』が描いた「アイデンティティ」と「文化」の問題
こんにちは。河合祥一郎です。第3回は、シェイクスピアの四大悲劇の中から『リア王』と『マクベス』の二つを取り上げることにしましょう。
まず、『リア王』ですが、これは『ハムレット』と並ぶシェイクスピアの代表作です。角川文庫から私が出した翻訳は題名が『リア王の悲劇』となっていますが、これは1623年に出版されたフォーリオ版に基づいて翻訳したために、フォーリオ版の題名をそのまま訳したものです。
これまでの邦訳では、フォーリオ版だけに基づくことはせず、クォート版と合わせて折衷版のテクストを作り、それが訳されてきました。クォート版は“The History of King Lear”といいますが、この“history”は歴史ではなく、フランス語の“histoire”と同じく物語を指します。
話の内容が少し違っているのですが、今回はその違いについて述べることはせず、ざっくりと『リア王』という作品そのものについて述べていくことにします。まずは内容を確認しておきましょう。こちらの図をご覧になりながらお聴きください。
古代ブリテンの年老いた王リア王には3人の娘がいました。長女ゴネリルと次女リーガンはすでに結婚していて夫がいるのですが、三女のコーディーリアはこの芝居の中でフランス王に求婚されることになります。
さて、引退を決意したリアは、三人の娘に王国を分割しようとし、どれほど父を愛しているか言うように命じます。長女ゴネリルと次女リーガンは多くの領地を手に入れようと父への愛を大仰に言いたてるのですが、最愛の末娘コーディーリアは大げさに言葉を飾ることを嫌い、自分が父を尊敬し愛していることは自明のはずだと信じて「何も言うことはありません」と言います。これにリア王は激怒し、コーディーリアを勘当してしまいます。止めに入った忠臣ケント伯爵は追放され、コーディーリアは持参金なしでフランス王に嫁いでいくことになります。
こうして王権をゆずったリアは、長女と次女の城に順番に滞在することにしていたのですが、そのうちに娘たちの態度がぞんざいになってきたことに気づきます。かつての王を尊敬せず、父を父とも思わぬその忘恩、恩知らずにリアは激怒して、道化を連れて嵐の中へ出ていきます。リーガンは門を閉め、父が死んでもかまわないという態度を示し、リアは嵐の中で「風よ吹け、天よ裂けろ!」と叫ぶのです。
以上が主筋です。副筋には、王の家臣グロスター伯爵が、愛人に産ませた次男エドマンドが、嫡男エドガーの座を狙って父と兄を騙すという、やはり忘恩の物語が展開し、理性を失ったリア王と、目を失ったグロスター伯とが荒野で出会うという象徴的な場面もあります。
この作品を理解するためには中世にあった絶対君主制という、王の権威の大きさに思いをはせる必要があります。王が一言死刑を命じれば、裁判を経ずに処刑が行われるような絶対的権力です。その絶対的権力の座から降りて、一人の老いた人間となるところに、リア王の悲劇があるといってよいでしょう。
この劇はアイデンティティの問題を扱っています。
《LEAR(リア王) Who is it that can tell me who I am ?(わしが誰か言えるのは誰だ。)》
《FOOL(道化) Lear’s shadow.(リアの影法師だい。)》
というやりとりがありますが、全てを失ってしまったリア王は、もはやリア王の影法師でしかないのです。リア王は嵐の中で叫び、全てを失って究極の人間性を見つめることになりますが、その過程の中で、こんなことも言います。
退位した王にも専用の従者が必要なのかが問題となる場面です。ゴネリルやリーガンの家の者がちゃんとリアの面倒を見るから、リア専属の従者は必要ないだろうと理屈を言われたときにリアが返す台詞です。
《LEAR(リア王) O, reason not the need! Our basest beggars(ああ、必要を論じるな! どんなに卑しい乞食でも、、)
Are in the poorest thing superfluous.(その貧しさの中に余分なものを持っている。)
Allow not nature more than nature needs,(自然が必要とする以上を認めないなら、)
Man’s life’s as cheap as beast’s.(人の暮らしなど獣同然つまらぬものになる。)》
ここには文化とは何かという問題があります。王様には供回りが必要だとする文化は古臭く、使用人が必要なら屋敷にいる使用人を使えばよいという新しい考え方を娘たちは提示します。そのことに王様は怒ってしまいます。価値観の変化がここ...