●言い訳は一切許されないのが驀直去という教え
行徳 やはりわれわれ現代人というのは、よけ癖が付きすぎています。何かあればよけて通ります。よけるときに、われわれは頭だけ磨いていますから、必ずよける言い訳をつくっているわけです。
人間というのは、やはり言い訳の、〝excuse〟の動物です。しかも、頭だけ磨いていますから、言い訳の仕方が実に巧みです。それでも、言い訳をしていることが分かれば、まだ救われます。しかし、現代人は、言い訳をしていることが分からないくらい巧妙な言い訳をするため、ますます自分が見えなくなっています。人間以外の生き物は言い訳しません。だから、われわれの山の中では言い訳は一切許されません。言い訳したら鉄拳を食らうのです。それが驀直去(まくじきこ)という教えです。
―― 先生、無学祖元もやはりモンゴルに追われて日本にきたのですか。
行徳 両親が虐殺されているわけです。大変な苦しみの中から、ある意味では追われるようにして日本に来ました。だから、彼自身の負った大きな傷というものが、その国難に時宗を若者として真正面から立ち向かわせたのです。
あの蒙古の襲撃でいえば、例えば河野通有です。火矢をあびせて、船にぶつかっていきました。「神風」は、そのときに吹いた風で、そこから、その名が出てきたわけです。やはり鎌倉武士、侍は強かったのです。
―― リーダーが腹をくくれば、やはり鎌倉武士は立ち上がりますよね。ものすごく数が劣っていても、抵抗するからそのうちに神風が吹くわけですね。抵抗しなかったら、あのようにはならないですね。
行徳 だから、やはり神様が見放さなかったのです。
―― やはり意志があったからですね。
●葛藤忌避が感性を鈍らせる要素の一つ
行徳 そうですね。たった17歳の若者があれだけの国難に立ち向かったのです。しかも見事にこれを防いだわけです。あの世界の強大国・蒙古を迎え撃ったことから、ある意味ではその後に蒙古の中で内紛が起きて滅びていったわけです。私がこういうことを若者たちに話すと、ある意味では大変に元気づいてくれます。
だから、言い訳というのは、結局忌避なのです。葛藤忌避です。これが感性を鈍らせる要素の一つです。
松下政経塾のそれこそ大先輩の神蔵先生を前にして言うのも何ですが、私は政経塾に一番欠けているものの一つに、葛藤忌...