●福沢と胡適が、東アジアの啓蒙の問題を考えた
前回、中国における儒教復興を手掛かりにいろいろとお話を差し上げましたが、今日は、「啓蒙」という問題を考えてみたいと思います。
近代ヨーロッパに東アジアが接したとき、いろいろな課題が浮上してきたわけですが、中でもヨーロッパ的な啓蒙をどのように引き受けるかが大変大きな問題になりました。啓蒙は英語では“enlightenment”で、新しい光を与えることです。その光は闇の部分に当てるわけですが、では、その闇とはいったい何かというと、それは宗教的な闇でした。
ヨーロッパには宗教戦争があり、血で血を洗う戦いが行われました。ようやくそれが一段落して、寛容という問題が登場します。そういった背景の中、近代は理性に基づいた人間を構築する方向に進みます。理性を有した近代的個人とは、宗教的な信仰から距離をとった合理的な思考をしていく人間ですが、彼らの精神をどのように構築していくかが大変大きな課題となりました。
その課題を東アジアが引き受けていくことになります。日本では福沢諭吉が啓蒙の問題を非常に深く考えていきます。一方で、中国では、胡適という中国哲学の先生がこの問題を考えていくのです。
●福沢も胡適も、「浅い啓蒙」を考えていた
私は、この二人には非常に似ているところがあると思います。どちらも実はヨーロッパ的な近代の啓蒙に対して、私の言葉で言いますと、ある種の「浅い啓蒙」を考えていた人ではないかと思います。浅い啓蒙とは、深い啓蒙に対立する言葉です。深さではなく浅さを考えるのが、東アジアの啓蒙の一つの特徴だと思います。
福沢も胡適も、ヨーロッパ近代のことを非常によく分かっていました。ヨーロッパ近代を背後で支えているのはもちろん理性ですが、実はその理性に、キリスト教的なものが張り付いていることまで分かっていたのです。ヨーロッパ的な啓蒙は、内面を持った個人を析出していきます。個人の内面の深いところまで降りていきます。心を掘っていくのです。それが神に通じていきます。キリスト教を背景に持つヨーロッパ的啓蒙は、このようなタイプの個人を想定しました。
二人とも、啓蒙の重要性を大変深く認めながらも、その背後にあるキリスト教的なものが日本や中国にはないことも分かっていました。それならば、そのような背景を欠いた啓蒙を実現したらよいのではないかと考えたのです。
●プラグマティズムと浅い啓蒙は、密接な関係にある
非常に興味深いのは、胡適がプラグマティズムという新しい哲学を中国に導入した人物だということです。ジョン・デューイというプラグマティストを中国に招聘して、あちこちでレクチャーをさせました。中国近代哲学の始まりは、実はプラグマティズムだったのです。
福沢は別に哲学者ではありませんでしたが、しかし、福沢惚れを自称する丸山眞男によりますと、福沢の哲学は非常にプラグマティックな哲学でした。この「プラグマティック」は褒め言葉です。実はプラグマティズムと浅い啓蒙は、非常に密接につながっているのです。
それまでのドイツ観念論、とりわけヘーゲルに代表される哲学は、まさに深さの哲学でした。非常に重厚で体系的な世界全てを説明していくのですが、ヘーゲルに特徴的なように、その最終目標はキリスト教でした。そのような哲学に対抗したのが、プラグマティズムです。
プラグマティズムは、「プラーグマタ」というギリシャ語から来ています。「人間が行為して成したもの」という意味で、人間の実践的な行為に深く関わるのがプラグマティズムだと言えます。人間の行為を記述するとき、何も大がかりな哲学的装置を持ち出さなくてもよいのではないか。これがプラグマティストの最大の主張でした。もっと言ってしまうと、ドイツ観念論が想定していた目的としての神なしでも、この世界は語ることができるのではないかという議論を展開したのです。
●プラグマティズムは目的論、因果論を否定する
啓蒙の際に、キリスト教的な神を想定しなくても済むわけですから、プラグマティズムは、東アジアの啓蒙家たちにとって、本当に都合の良いものでした。胡適はそれに飛びつきます。福沢はプラグマティズム自体を導入したわけではありませんが、非常に近い態度をとったと言われています。
胡適が招聘したジョン・デューイというプラグマティストは、実はダーウィンの進化論から深い影響を受けていました。ダーウィンの進化論は、その後もいろいろと誤解されてきましたが、あくまでもエボリューションに関する理論で、進歩を議論しているわけではありません。物事が変化して別の形をとるのに、決まった目的はない。ここにダーウィンの進化論のポイントがあります。
ところが、それが人間の社会に適用され...