●仏教経由で内面の啓蒙に向かった朱子学
では、ここ(啓蒙の第二のステップ)までよしとしましょう。
つまり、朱子学は、やはりある種の内面に関わった、内面を持ち出した啓蒙である。それは、おそらく仏教から来ています。仏教もやはり人々の心に触れていく教えでしたから、仏教のよいところをうまく抜き出していったのです。ですから、それは結果的に、近代においても、内面の問題、内面の啓蒙に儒教が関わっていくチャンネルを、朱子学が仏教経由でつくっているということが分かります。
ただ、次のステップ、これを踏まなければならなかった。なぜならば、例えば、Aさんが自己啓蒙に成功したとして、では、Bさんが自己啓蒙を始めることに、どういう寄与ができるのか。啓蒙を始めていない人、そういう内面を持たない人、そういう人が啓蒙を始めることができるかどうか。これは難問です。
●自己啓蒙と他者啓蒙。朱子学が抱えた啓蒙のアポリア
これはもともと仏教にあった問題と構造的に同じだと私は思っています。例えば、信仰を始めた人、信仰心を持ち始めることを、発菩提心(ほつぼだいしん)といいます。仏教を信じる。どのようにして、そういう菩提心を持つことを、それを持っていない人に、仕向けることができるのか。これと同じ問題だと思うのです。朱熹もやはりここにたどり着くのです。他者を啓蒙するにはどうしたらいいのか。
ところが、これに答えはありません。なぜなら、あくまでも内面での自己啓蒙を前提にしていますから、内面の自己啓蒙である以上、外から啓蒙させるわけにはいかず、内面において自己啓蒙を始めるしかないのです。
ここに、朱子学がある種のアポリアを抱えていく、啓蒙の限界を持っていくことが分かります。
私の言葉で言う、福沢諭吉の「浅い啓蒙」にはこの問題は生じませんから、他者啓蒙という点では、福沢の方が優れているのかもしれません。
しかし、朱熹はそこで、他者啓蒙を、ある意味で放棄してしまいます。結局、自己啓蒙を始められる人は勝手に始める、そういう言い方しかできなくなりますし、あるいは、その誠意がおのずと伝達されるのだというフィクションをつくるしかなくなってくる。非常に難しいのです。
●王陽明が行きついた“窮理”の限界
この問題を真面目に受け取ったのが、王陽明でした。陽明学というものです。陽明は、非常に真面目な朱子学者たろうとしました。彼の有名なエピソードがあります。
理を窮めることは大事だと朱熹が言っているので、「よし、やってみよう」と、目の前にある竹の理を窮めてみようとします。友達と一緒にやるのですが、先に友達が音を上げてしまいます。いくらじーっと見ていても、外のものの理である竹の理が窮められないのです。これは困ります。陽明は友達よりもう少し頑張ってみますが、やはり分かりません。しかし、朱熹が言っていたように、外のものの理を窮めることが、内で理を把握していることを保証するはずだったのです。それなのに、外のものの理が把握できない。これに大変苦しみます。
●陽明学──外を断ち切った“心学”の独我論
その果てに、陽明は一つの転倒を行います。ひょっとして、朱熹が誤っていたのではないか。外というものを経由してはいけなかったのではないか。あくまでも内だけでやった方がよかったのではないか。
陽明は、そこで外を断ち切ります。外のものを参照しない。あくまでも内に徹していく。そうして内での自己啓蒙に徹していけば、啓蒙は成功するのではないか。そう考えたのです。そうすると、外はないのですから、これは一種の独我論になってきます。
しかし、この独我論が強烈なのは、自分の世界に他人まで全部入るところです。全部入れてしまう。そうすると、自己啓蒙が成功したとすれば、おのずとそこに他者も巻き込まれて、啓蒙が始まる、あるいは啓蒙が成立するだろう。そんなことを陽明は考えたのです。
もちろんこれは、朱熹から見れば、そんなことは言えないだろう、自分が自己啓蒙に成功したということを、陽明が言うようなやり方では決して証明できないだろう、という批判が、当然あろうかと思います。
しかし、陽明にとっては、逆に外のものに訴えることの方が、リスクが高いのです。外を完全に切ることによって、中に徹していけばいいのではないか。そういったことを考えたのです。
ですから、陽明学とは、心の学と書いて、別名「心学」と言われます。それは「外を断ち切る」という意味なのです。外を断ち切った心にフォーカスしていく、これが陽明学だと考えることができると思います。
●東アジア的な啓蒙の典型として利用された「新儒教」
このように、少しタイプは違いますが、朱子学と陽明学の自己啓蒙の構造がありました。
近代...