●光の表現から見るモネの《草上の昼食》の革新性
さて、マネの《草上の昼食》なのですけれど、屋外で人が集まった姿はモネの《草上の昼食》にも影響を与えています。
モネの《草上の昼食》は屋外で描き始められまして、最終的にあまりにも巨大なサイズですので、完成作はアトリエで仕上げられています。これは当時たいへん革新的な作品でした。
例えば、バジールの《家族の集い》という作品と見比べていただきます。バジールは1870年に亡くなっています。つまり第1回の印象派展が始まる前に亡くなっているのですけれど、モネと同じ主題である屋外の群像表現というものにたいへん関心を抱いていました。
ただ、バジールの表現は、画面の手前の下のほうに木漏れ日が落ちています。地面にチラチラとした木漏れ日が描かれているのですけれど、同じように人物たちにも木漏れ日は当たっているはずです。けれど、描かれた人物たちには均等に光が当たって、あたかもちょうどカメラで撮影するときに集合写真を撮るときに、クラス(学校)写真でもいいのですけれど、巨大なストロボを使って、フラッシュでバッと撮ったかのような均一な光が当たっています。木の葉の裏の部分もこれも陰になってもっと黒くなるはずなのですけれど、明るく光が当たっています。人工光と自然光のハイブリッドで出来上がっているのです。
そうやって考えていきますと、モネの《草上の昼食》がいかに先端的な表現であったか、です。仲間の画家たちでさえも試みていなかったことをいちばん先頭に立って押し進めてきたということで、いかに斬新な表現であったかということはお分かりいただけるかと思います。
ただ残念なことに、この作品はサロンへの出品を意図して制作されたのですけれど、最終的にサロンに出品されることはありませんでした。
一説によりますと、画中にも描かれている太った髭の生えている座った人物はクールベなのですけれど、クールベがあるときモネのところを訪ねてきて、この作品を見て一言いったところ、モネは描き直し始めてしまったというのです。それが理由で最終的に出品を断念したのだともいわれていますけれど、実は真偽のところは分かっていません。
ただ、残され...