●印象派の作品に残る浮世絵が与えた影響
いつから日本の浮世絵が画家たちの目に留まるようになったのかについては異論があるので、先ほど(第5話)の1870年代という時間軸をもう少し戻さなければいけません。1860年代の後半にはマネは明らかに浮世絵を見ることができたのです。
そのうちの表現の1つというのは、作品の中にも証言されています。これは《エミール・ゾラの肖像》なのですけれど、ゾラはレアリスムの作家としてよく知られています。ゾラ自身はマネとともにカフェで議論を戦わせたうちの1人で、カフェ・ゲルボワの常連の1人だったのです。こちら、背景に描かれているのは日本風の衝立です。日本か中国の花鳥画がバックに描かれています。
さらにもう1つ背景を見ますと、《オランピア》の複製版画が描かれています。これはゾラがマネの《オランピア》がサロンに出品されて評判になったときに、マネ擁護の論陣を張ったことで知られているからなのです。この《オランピア》の版画の中のオランピア、ヴィクトリーヌ・ムーランはゾラのほうに視線を向けています。少し実際の版画とは変更されているのです。これはゾラへの感謝の気持ちを込めているともいわれています。
壁の部分にベラスケスの《バッカス》の複製の版画が描かれています。これは先ほど(第5話で)見ていただいたように、マネは明らかにスペイン絵画の影響を受けています。
例えば、この《笛を吹く少年》などは平坦のグレー、ニュアンスに富んだグレーなのですけれど、この処理をパッと見ますと、空間の位置関係が少し曖昧になっています。
これは、ベラスケスが描いたハプスブルク家の王室の面々、この肖像画によく見られる表現です。壁にあるベラスケスの複製版画は、マネに与えたスペイン絵画の影響を彷彿とさせます。
もう1つ、この画中には浮世絵が飾られているのです。同じようにゾラのほうを見ています。これもおそらく、当時すでにマネが浮世絵を知っていたということで、その影響だといわれています。
ところが、1860年代、マネは実際には自分の作品に浮世絵の影響を色濃くは残していないのです。浮世絵はおそらく知っていたでしょうが、作品(の表現)に取り入れるようになるの...